夜に紅い血の痕を

著 久史都子

第八章 白と黒と揺らぎ

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1.チェバ


 キングポートを立ち、街道を北上して五日目。
 停車場に伸びる巨鳥の羽根を思わせる影に導かれて、ドルクは明けて間もない空を見上げた。

「こうして見ると、ぞんがい気持ちのいいものですな」
 常夏の地に育つ大樹を目にするのは何十年ぶりだろうか。もっとも、ヤシの故郷はもっと北。滝の雨と容赦のない太陽が降り注ぐ灼熱の地。おそらく、かの地にあこがれる者が植樹したのだろう。

 周りの木々が柔らかな葉を厚く着込み、おのが領分に届いた光をあまさず貪るのに比べ、梢にのみ巨大な葉を広げる樹体は、清々しく孤高に見えた。

「実は無いんだ」
 若い娘らしく食い意地の張ったティアの感想に苦笑する。
「この樹は、つがいで植えないと実をつけないのですよ」

 興味を失ったらしくティアは灰色の法服をひるがえして、駅に付随した酒場をかねた宿屋へ向かう乗客や御者の流れに戻った。
 馬の交換と簡単な車両点検を済ませる短い時間に、あわただしく用を済ませ駅馬車の揺れに踏ん張っていた尻やヒザをもみほぐす様は、若い娘とは思えないほど旅慣れている。

 一方、アレフ様は樹を見上げたものの陽光に顔をしかめて黒いフードを深くかぶり、うつむいて物思いに沈んでゆかれる。下ろしたての硬いシャツの様に、いまだ旅に馴染まない。人の群れに溶け込もうと努めていらっしゃるのだろうが、気がつけば手帳になにやら書きつつ、独りたたずんでおられる。

 アレフ様は思索と探求に喜びを見出す方。
 わずらわしい治政も、全てを終わらせてしまう暗殺者も、アレフ様の幸福を邪魔するものでしかないと思っていた。
 だが、在るべき土地から移され、乏しい光と寒さの中でゆれる樹を見上げているうち……主を連れ出してしまって本当に良かったのかと、おそれにも似た不安を覚えた。

 旅を嫌っておられるわけではない。少なくとも車窓を過ぎる風景や町並み、入れ替わる同席者に関心はおありだ。
 だが、立法や外交にも関心をお持ちになれたかもしれない。少なくとも工房の誘致や教会への支援には積極的でいらした。

 お父上と共に政務に携わる者たちの大半を奪ったモルの非道。危機であり悲劇だが、数百年のあいだ望みながらも諦めていたアレフ様の理想を実現する好機だったのかも知れない。

 美しいが実情に合わない治世が破綻する前に、テンプルの討伐隊が全てを終わらせ、伝説と高い理念だけが後の世に残る。そんな劇的な最期を迎えられた方が、主にとっても領民の今後にとっても、幸せだったのではないだろうか。

 ドルクは首をふって選ばなかった未来を頭から追い出した。すでに海を渡ってしまった。戻る事など出来はしない。全てを捨てて逃げ続け、生き続ける道を選んだ。

 しかし……旅はいつまでも続くものではない。
 いつか終わりが来る。

 ティアの持つ紹介状と背後にある教会の権威が、ここまでの旅を円滑にしている。
 だが、この先に待っているのは勝てるかどうか分からない戦い。ティアの望みはモル司祭とアレフ様の共倒れではないかと疑っていた。だから中央大陸へ渡ったあと用済みになったティアを置き去りにするか、始末するつもりでいた。

 今は、排除する事など考えられない。
 指輪の力で陽光から白い肌を守り、影を引き、鏡に姿がうつる幻術をまとわれても、蠱惑的《こわくてき》な黒衣と銀の髪がアレフ様のまわりに不安を広げる。それを安堵と苦笑に変えているのがティアの法服。そして彼女の中央大陸に関する知識と経験は、旅の良きしるべとなっていた。

「まるでオリの中だ」
 主の声に、とりとめのない考えがとぎれる。
「駅には貴重な荷や金が集まります。襲撃を警戒しているのでございましょう」
「街道をゆく余所者を隔離する柵かと……町を疫病から守るための」
 高い柵の隙間から見える城壁に向けられる紅い笑み。そろそろではないかと予想はしていた。

 速さが取り得の駅馬車の旅。短い休憩は、乗客が軽い運動をしてパンを茶で流し込んでいる内に終わる。渇きをいやす相手を見つけることはおろか、町を散策する時間もない。

「売り切れちゃうよお」
 駅舎の前で薄いパンを振っているティアを手招きした。
「湯で髪を洗いたくはございませんか?」
「……臭う?」
 陽に透くと金に見える髪をひとふさ鼻にもっていって「まだ、そんなに」などと呟くのを聞いて、今度は食い気に訴えてみる。

「タマゴや果物もある朝食はいかがですか?」
「でもさぁ、キングポートで丸一日ムダにしたし」
 自覚のないしもべを一晩かかって説得した苦労と、注ぎ込んだ大金をムダと片付けられてはたまらないが、くわしい説明も出来ない。

「無理に追いついたところで、準備不足では戦うことなど出来ません」
 この一言で、やっと半日の休憩を納得させる事が出来た。

 先払いした運賃の残額証明を御者に書かせた後、チェバの町に足を踏み入れた。


 駅にくっついてる宿で豪華な朝食のついでにお湯を頼んだら、昼までかかると言われてティアはむくれた。タマゴが効いたパンケーキや果物とゆで野菜のサラダは美味しかったけど、ずっと食べ続けるわけにもいかない。

 一人しかいない女中が井戸と台所と部屋を行ったり来たりして湯船をいっぱいにするまでの間、町を散歩をしようとドルクが言い出した。他にする事もないから、三人で広場まで行ってみた。

 お店は鍛冶屋を兼ねた農具屋と、よろず屋とパン屋ぐらい。日によっては市が立つのかも知れないけど、今はガランとのどか。人の気配があるのは、子供たちが声をそろえて数字を読み上げてる教会ぐらい。

 小さなイナカ町。歩けばすぐに町を囲む城壁に当たる。門を守る塔にはクサリがかかって入れなかったけど、城壁の上は歩けた。外は見渡すかぎり麦畑と牧草地。下流ではあんなに広かった川がすっかり乾いて、石とドロと雑草の細長い境界になっていた。

「ドライリバーを越えればサウスカナディ領。地平のあたりに、ネラウスの町が」
 時代遅れの知識を得意げに披露するアレフを、鼻で笑ってやった。
「お城は残ってるけど、禁呪で焼かれてサウスカナディは不毛のサバクになってるよ」

 不機嫌に黙り込んでアレフはせまい階段をおりてった。追っかけて数段降りたドルクが、あたしの方を振り仰ぐ。
「ティアさん、そろそろ湯の準備が出来ているかも知れませんよ」
「ア……アーネストは風呂キライだろうけど、ドルクは? 先に入っていいよ」
「わたくしは主が眠っている間に、残り湯で体を拭けば十分でございます。ご婦人の入浴を覗いたりはいたしません。もう少し散策してから宿に戻りますので、どうかゆっくりと」

「そっか……」
 洗髪がどうのといわれてから、何だか頭がカユくなってきた気がする。考えてみたら、船に乗った時から髪なんてマトモに洗ってない。
「じゃ、あとで宿屋で」

 壁に刻まれた階段を下りながら、二人がこんなショボい町のどこに魅力を感じているのか不思議に思った。歩き回っても見るべき所なんてもうない。建物は板や土や石がむき出し。素朴で飾り気がない。一度焼かれた跡がここかしこに残ってる。たぶん、新しい城壁にお金と資材つかいすぎて、見た目まで手が回らなかったんだ。

 いまは働き手がまわりの農地に出てて人けもない。よそ者がウロついても、じろじろ見る人すらいない。
 夜は城門を閉めて見張りを立てて……麦を収穫する頃は、用心棒とか募集してそうだけど。

 城壁にそって宿へ向かいかけて、足が止まった。
 心を整えて二人の居所を感じてみる。北のほう、すこしはマシな家があるあたりだ。気配と足音を殺して迷路みたいな道を早足でたどる。

 角を曲がった時、黄色い実をつけた庭木と井戸が中庭にある建物のアーチをくぐる二人が見えた。

 知り合いの家……なんてはず無い。
 二人が興味を持っていたのは町じゃない。住んでいる人に興味が、というより用があったんだ。

 全速力で走った。ツヤのある葉がしげる中庭に飛び込んだとき、ドルクが奥の扉を締めながらどこか笑みを含んだ声で「外で見張っています。ごゆっくり……」そう言うのが聞こえた。

 肩で息してるあたしを見て、気まずそうに目を泳がせる。
「このために、夕方の便にしたのね」
 あたしの髪の臭いなんて関係ないし、町を見たかったんでもない。住んでる人の気配を探って適当な獲物を物色してたんだ。

 見知らぬ家の玄関へ突撃した。
 ドルクが立ちはだかる。
「どいてよ!」
 扉のむこうでは、出迎えた住人をアレフが金縛りにして牙にかけようとしてるはず。

「アレフ様は食事を邪魔される事を好まれません」
 低く押し殺したささやき。
「食事?!」
 言い方にムカついた。
「罪もない人を無理やり餌食にするんでしょ。そんなの法に反する……」
 そこまで言ったときドルクに口をふさがれた。
「納得できなくても目をつぶってください、船の時のように」

 見逃せといわれても、後で知ったのとド最中じゃぜんぜん違う。
 だけど多分、これから町に入るたび繰り返される日常。
 静かさが戻る。

「たすけ……」
 扉の奥で上がった女性の声が不自然にとぎれ、そのまま沈黙した。ドルクが目を閉じて首を振る。
もう間に合わないのは分かった。

 アレフは今どんな顔をしているんだろう。罪の意識にさいなまれながら呪われた身が求めるまま義務のようにそうしているのか、単純に食欲を満たす喜びにひたっているのか、冷酷に餌食が弱っていく様を見つめているのか。
 いつしかドルクの手は口から離れてた。

「しかた、ない……だよね」
 左手の指にはまった紅い指輪。仮そめの不死を与える指輪の力で助かった事は一度じゃない。アレフの魔力があたしの命とドルクの命を支えている。間接的にアレフの犠牲になった人々の血であたしは生かされてる。

「アレフが滅びたら、私も死ぬんだよね」
「ティアさんは……一度死んだら二度と生き返らなくなるだけです」
 そっか、じゃあ命と引き換えに、なんて悲壮な決意にひたる必要ないんだ。利益になると判断したら滅ぼしてもかまわない。

 でも……
 前から疑問に思ってた。
「ドルクは?」

 あたしが小さいころ見たヒゲオヤジは中年だった。父さんが子供だったときも似たような年恰好だったって聞いた。でもヴァンパイアじゃない。ドルクの手は温かい。
 ワーウルフというだけでは不老は説明できない。
不死身は紅い指輪の効果だとしても。

 ドルクが黙って目をそらす。
 そっか、アレフが滅びたらドルクも一緒に滅びるんだ。闇の子じゃないけど、それに近しい存在。細かい理屈は分かんないけど、納得した。

 赤いニスがぬられた扉が静かに開いた。あたしを見たアレフの顔がこわばる。
「終わりましたか」
 ドルクは声も無表情だった。あたしは背を向けた。

 アレフの口づけを受けたこの家の女性は、二度と戻らないかも知れない黒い旅人をずっと待ち続けるのかな。それとも船で噛まれた人みたいに全て忘れてる?
 どっちにしても、心がアレフの支配下にあるのは間違いない。

「ティアさん、行きますよ」
 アレフに続いて門から出たドルクが小さな声で呼ぶ。
あたしは扉を振り返ってから道に出た。

肩をすりそうな狭い道を行く、黒い背中をおおう優雅なヒダも、石畳を静かに踏むブーツのカカトも、なんとなく満ち足りて落ち着いて見える。
あたしがこの町に導いた災い。

……先生に借りた鍵を使って、ホコリまみれの書庫で見つけた解呪のレポート。ラスティル聖女が組み上げて、検証もされないまま忘れ去られた解呪の術式。
夢中になって読んだけど、触媒の入手はまず不可能だと放り出した。でも今、記憶の底に沈んだ方陣と手順を、いっしょうけんめい引っぱり上げようとしていた。
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2.越境


「次はチェバか」
 キニルからキングポートまでの地図と駅の名を刷った紙質の悪いパンフレットを、剣ダコの目立つ手でオットーがたどる。

 酒には弱くても揺れには強いオットーがルーシャにはうらやましい。旅から旅の生活をはじめて10年は経つがいまだに馬車と船には慣れない。揺れる中で字など見たらアクビと目まいがたちまち起こり、ひどい時には吐いてしまう。

 ハジムの黒く引き締まった身に備わった天性の平衡感覚もルーシャにとってはため息モノだ。今も背もたれから身を浮かし、鼻先で合わせた手を押し合い、座ったままでも可能な鍛錬を行っている。

 そのハジムはいま追っている若者を『いびつなドシロウト』と評した。
 臆病で場当たり的な戦い方。痛みを長引かせるだけの無意味な手加減は、虫も殺せないと震えてみせる女より偽善的。技や手際は拳術を習い初めた子供にも劣る。ただし持久力と苦痛への耐性だけは歴戦の聖騎士なみだと。

「恐怖と興奮で、疲れや痛みを感じなかっただけでしょうよ」
 あらゆる戦傷をいやす術《すべ》に長けたアニーにかかれば、街道を脅かしていた賊を痛めつけ、売られそうになっていた娘達を救って立ち去った英雄もカタナシだ。少しばかり術が使えるのを鼻にかけた自信過剰のガキにすぎないと笑う。

 だが、アニーは同時に、若者の別な面を想定し読み解いてみせた。

 裕福な商人の家に生まれ甘やかされ、全てが思い通りだった幼年期を過ごし、我慢や敗北への対処を学ばずに育った子供。苦い現実に直面した時、傷ついた心を守るために妄想のヨロイをまとい、歪んでしまった。

 そのヨロイの名は吸血鬼。夜を統べる永遠の支配者と己を同じものと妄想して、銀髪の若者は黒衣をまとった。術を習得しえた才能と、万人が見惚れる美質に恵まれていたのも、ある意味不幸だった。それが病んだ心を救いのない域にまで追い込もうとしている。

 アニーが船員から聞きだしたヨタ話が事実なら、若者は船内で2人の人間に噛み付き、血をすすっている。しょせんは血液嗜好者によるマネゴト。操り人形と変える呪縛は起こらず、歳若い水夫の首筋に残る噛み痕は消えかけていた。

 だが、噛まれた記憶は奪われていた。
 手馴れたやり口。たぶん初めての所業では無い。故郷でも妄想と嗜好を満足させるために、身近な人間を襲っていたはず。それに気づいた親や周囲の者に家督相続権を奪われ……同郷の見習い聖女と腕に覚えがある従者の監視の下、ホーリーテンプルへの旅に出された。

 入山すれば妄想は深まり、いずれ人死にが出るかもしれない。
 いや、既に手遅れか。

 あの夜、丘まで道案内させた賊の話が信用できるなら、黒い若者に連れ去られそのまま行方が分からなくなった者が一人いる。噛まれているのを見たとも言っていた。明日のない罪人ならかまわないと喉を裂かれ……川に沈められたのか埋められたか。

 元々、ルーシャたちが習い覚えた法術や攻撃呪そして回復の呪は、不死者の力や秘術をマネて編み出され改良を加えたもの。応用次第でタダの人間を不死身の魔物に近づけることができる。耐性を高める障壁も、負った傷を即座にいやす回復呪も、精神に作用する様々な法術も、使い方次第ではニセの魔物を演出する力となる。

 法服を着たまがい物の吸血鬼を誕生させるわけにはゆかない。何より今のテンプルには、まがい物を本物に変える邪法がある。たとえ妄想に取り付かれた病んだ人殺しでも、真の闇に堕ちてモル司祭の輝かしい経歴を飾る功績の一つにされるのでは哀れすぎる。

 これ以上犠牲を出さないために、追いついてテンプル行きを阻止する。それが当人のためにもなるはずだ。
 追いつけば、見つけることさえ出来れば、私が止めてみせる。

 だが、シロウトだと甘く見れば思わぬ反撃を食らうかもしれない。手薄になったところを不意撃ちされて、壊滅した賊の様に。

 チェバの駅で貧弱な幹を夕日で赤く染めたナツメヤシを見上げて深呼吸していた時、いつもの様に目を引く見習い聖女と、黒衣の若者の足取りを聞きにいったハジムが駆け戻ってきた。

「連中、ここで下車して、宿に入った」
 ルーシャは板ぶきの駅宿を見上げた。
 キングポートで半日の遅れをとって以来、休みナシの五日間だった。追跡という名の根競べの労がやっと報われる。
「今、オットーが確かめに行ってる」
 待ちきれずにルーシャは駅宿に駆け込んだ。

 宿の女中と話し込んでいたオットーが振り返り、眉間にシワを寄せて首を振った。
「湯を使って一休みした後、心付けをたっぷり置いて出てったそうだ」
 だとしたら、ルーシャたちが乗ってきた馬車隊の便に乗るはず。出立まで時間が無い。

 四人で手分けして駅舎とすべての馬車を見て回った。だが、それらしい旅人はどこにも見当たらなかった。


「ようこそ、サウスカナディ領へ。アルフレッド・ウェゲナー、滅びそこないの血の盟主」
 夕日を浴びてそよぐ芦原の向こうから、芝居がかったしぐさでティアが差し招く。
 地から上空へ伸びる極光に似た障壁が左右に割れる。境界を越えるための単純なマジナイ。それでも、今は助かる。

 源流である大湖が雨季であふれた時のみ流れる涸れ川。とはいえ油断をすれば、周囲の耕作地をうるおしている地下水の流れに力を削られる。陽が沈みきっていない今、エイドリルとシーナンの水利権争いが起源などという、古くさい結界にまで力を削がれては、さすがに辛い。

 乾いた川床を踏み越え、まっすぐ対岸へ歩をすすめる。
 背後で結界が閉じるのを感じた。

 このまま夜半まで歩き続ければ、ネラウスの町に着く。ティアの言うような廃墟とは思えない。たとえ禁呪で焼かれたとしても、花が咲き虫が戻れば人はこうむった痛手から立ち直り、しぶとく生活の場を再建する。昔のままの賑わいは望めなくとも、半月の旅に耐えうる馬車を仕立て、必要な物資を購入することは可能なはずだ。

 大陸をつらぬく街道から外れてサウスカナディ城へ立ち寄り、旧友の安否を確かめたい。

 地図上ではわずかな寄り道。だが、本当に石と砂に埋もれた砂漠を行くとしたら、時間的にかなり遠回りとなる。
 ティアが大望を果たす時は大幅に遅れるだろう。その埋め合わせとして、あらかじめ用意していた取引材料は、ホーリーシンボルをより早く発動させる短縮呪だった。

 滅する運命が避けられぬものなら、発動の遅い術でなぶられるより速やかな消滅の方がまだマシだ。我ながら後ろ向きだが、ティアが納得しそうな報酬を他に思いつけなかった。

 だが、宿に戻った時、ティアの方から思わぬ提案があった。

「ひとつだけ、あんたの言うこと聞いてあげる。その代わり、これからあたしが頭に思い浮かべる事が、可能かどうか教えて」

 読まされたのは黄ばんだ紙に共通文字で書かれた術式。関心のある事柄を見たまま記憶する者はたまに居るが、ティアもその一人らしい。だが紙をめくるペースが速い。全てを理解するまでにいく度か意識的思考の中断を求めた。

「だから男ってイラつく。物分り悪いし、思考がまだるっこしい!」
 性差の問題ではない。表音文字のみの文章に慣れていないだけだ。表意文字にいちいち換えるのに時間を要するのだと反論しかけて、やめた。表層でもティアが思考を読ませてくれることはマレだ。なにより“言うこと聞く”などと譲歩したのは初めてだ。

「加害ヴァンパイアの血を触媒とした、治療者との一時的精神結合を用いての被害者の解呪。条件が整えば理論的には可能だろうが」
「条件って、なに?」
「治療者への信頼。そして互いの愛着が薄いこと……加害者、被害者、双方の」
 血の絆を他者の割り込みによって断ち切られたなら、心の一部を引き裂かれるような痛みと喪失感を覚えるはずだ。想像しただけで気分が悪くなった。

「そして失った分の生命力をしもべに与える手段も用意しなければ、心を切り離す術式に耐えられない者もいる。だが、なぜ今さら」
 術式を学んだのは代理人だった父親を解放するためだろう。だが町の者の手で殺され、死体も焼かれた今となっては無意味なはず。

 ティアが心に封をかける直前に、女の声と赤い扉が視えた。
 昼まえ、不用意に上げさせた悲鳴を聞かれたか。

 通いの女中が朝の家事を終えて去った静かな家で、独り繕い物をしていた婦人。予定より早く来てしまった招待客をもてなしているつもりで、茶器と湯の算段をしながらぎこちなく笑んでいた。

 招いておいて名を思い出せない罪悪感とあせり、わずかな疑念。
 それらが消えるまで穏やかに客を演じ、時おり瞳を見つめて会話を続けても良かった。だが、どうせ記憶は封じてしまうと少しばかり性急に事を運んだ。
 中庭に面した建物は無人。物音も声もドルク以外には聞こえないと。

 渇きをなだめる為だけに、行きずりで襲った贄。最初から捨て置くつもりでも、いま彼女を奪われるのは辛い。同化しきれない血と共に鮮明な記憶と体温が体に留まっている。
「彼女を術式の検証に使うというのなら、触媒は与えられない」

「今、解くなんて言わないから。あんたが滅びなかったらのハナシ。風呂入ろっと」
 風呂と並列して物騒な事を言われたが無視した。部屋を出て行こうとしていたティアの背中に、サウスカナディ城へ行きたいと希望をぶつける方が大事だった。
 なにより昼間に、感情的に受け入れ難い術式を考えるのはキツい。

 暮れゆく空で数を増す星を見上げながら、地平の町を目指して歩いている今の方が、気もまぎれて思考もまとまる。

 こちら側の愛着は時間が経ち、他の人間からも血をすする内に薄まっていく。人の方の愛着は……中央大陸においては、淡雪なみに儚《はかな》いかも知れない。

 300年位前、教会が共通文字と共に教義を広めはじめてから、瞳の力が効きにくい者が増えた。血の絆もかつての様に“絶対”と言い切れまい。
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3.少女


「チコっ!」
 それは死んだ弟の名。銀貨50枚であたしを売った片目の男がカン違いしただけ。けど、わたしは素直に返事した。格子の向こうにはあたしの体や家事の腕をほめる売り手と、口汚く値切る買い手。もう名前なんてどうでもいい。鉄の鎖で首輪につながれた手かせが痛い。どうせ持ち主が変わったら別の名前をつけられるから。

 低い屋根を燃やす火に、父さんが上着を叩きつけながら逃げろと叫んだのは何日前のことだろう。畑に駆け込んだあたしと弟は、片目の男になぐられてしばられた。そして知らない子供や女の人とナワで繋がれ歩かされた。このネラウスにたどり着く2日前、あたしの背中で弟は死んだ。

「今日からこの人がお前のご主人様だ」
 辛い思い出にひたっている間に、買い手が決まったらしい。格子戸から引きずりだされた。日がまぶしくて目がしばしばする。目の前に父さんと同い年ぐらいの人が立ってた。顔の下半分を茶色いヒゲが包んでる。

「私は主ではございません。本当の主に引き合わせる前に、まずは着る物を買いに行きましょうか」
 古着屋さんでクサリと手かせを外された。青くて丈夫そうなスカートと白いブラウスをあてがわれ、首輪の代わりに赤いリボンをえり元に結ばれた。

 それから石で作られた三階建ての家に連れて行かれて、泥と馬糞まみれの足を冷たい水で洗った。階段の先に扉があって、その先にまた扉。そこに新年のお祭りの時しか食べないような鶏の丸焼きやくんせい肉の薄切り、チーズや果物のお菓子、そして白いパンがテーブルの上に乗っていた。

 反対側の席に同い年ぐらいの女の子がいた。灰色の法服を着てる。日が長くなるころ、麦袋を納屋からゴッソリ持っていく教会の人の仲間かな。でも顔は怖くない。
「あなたのお名前は」
 新しい名を聞こうと耳を澄ませた。呼ばれたらすぐ返事しないと叱られる。

「な・ま・え」
「はい」
 今度はナマエ。チコより女の子らしいかな。
「だから、名前」
「はい」
 親がつけた名を聞かれていると気づくのに、3回ぐらい同じやり取りを繰り返した。それから大笑いして一緒にご馳走を食べて、いろんな事を聞かれて、いろんな事を話した。ティアさんはあたしを、初めてのトモダチだといった。

 ヒゲをはやしたドルクって人はいつも笑顔だけど、ていねいでヨソヨソしい。あたしを買ったときの名前で呼ぶ。日が沈んだころ起きだして来た本当の主は、少し年上の男の人で髪も顔も白くてツルっとしてた。ずっと機嫌が悪くて、夕食の間も馬車に乗ったあとも無口で、そっぽ向いてた。

 馬車の旅に同行して雑用するのが仕事っていわれた。夜中、馬車はでこぼこ道を走って、日が昇ると止まってたき火して朝の支度。昼は眠って夕方におき火を起こして夕食の支度と、夜食作り。

 でも、ティアさんとドルクさんが手伝ってくれるから、大変じゃなかった。あたしがヤセてるからって、パンの上に分厚いチーズや一番大きい肉の塊を乗せてくれた。文字と計算も教えてくれた。あまりにも良くしてくれるから、不安だった。

 道から外れて荒地を走り出した次の夜。
 ドルクさんが馬車を止めて、ティアさんが出て行った。真っ暗な中で機嫌の悪いご主人様と2人っきりになった。座席に押し倒されて赤いリボンほどかれて、えり元をはだけられたとき、やっぱりって思った。目と足を強く閉じて大声を上げようとした。トモダチなら、助けに戻ってきてくれる。

 冷たい唇がのどにふれた。声が出なかった。初めて聞いたご主人様の声は忍び笑い。あたしの喉に噛み付いたのが何なのかわかった。痛くて怖くて涙がこぼれた。ナメクジみたいな冷たい舌が気持ち悪い。

 お祖母ちゃんの昔話は大ウソだ。ちっとも嬉しくない。気持ちよくない。冗談ばっかり言ってたゆかいなシーナン様だって、本性はあたしの血をすすって満足そうにため息ついてるご主人様と同じモノ。
 誰もいないお城を今もお掃除しているロビィや、すぐ砂鉄が詰っちゃう手のかかるオートマタ達も全部おとぎ話。みんなウソっぱちだ。

 泣きながら馬車を飛び出したけど、クツをはいてないから痛くて立ち止まった。街道から外れて馬車はだいぶ走ってる。いま逃げても行き倒れになるだけ。

 泣いてたら、ティアさんが後ろからそっと抱きしめてくれた。
「ごめんね。今は無理だけど、いつか一緒にあいつから逃げよう」
そっか、この人も一緒なんだ。そう思ったら力が抜けた。


 空気が冷たい。間もなく夜が明ける。細い月が沈み、東の空に赤い光がひろがる。これは御者台にいるドルクの眼に映っている光景。その横に座って手綱をとる小さなぬくもりに気づいたアレフは、あわてて心を従者から引き離した。

 窓を締め切った暗い車内に意識を戻す。向かいの席で仮眠をとっているのはティアひとり。あの夜以来、御者台が娘の定席となっていた。車内に足を踏み入れるのは“来い”と念じた時のみ。

 他のしもべの様に自ら喉を差し出すことはない。だが、抵抗もしない。目を閉じ歯を食いしばり、なぜ黙って耐えるのか。恐怖で何も考えられないのか、無気力にあきらめているのか、トモダチの身代わりをつとめる使命感なのか。
 心を読むことを禁じられた以上、娘の胸のうちは推測するしかない。

 かつて駅馬車として使われていたという車体。岩と低木が点在する荒野を抜けるには少し図体が大きい。重い車体を引かせるために買った馬は4頭。ドルクに習って馬の世話を手伝ううち、エステ、オエステ、スル、ノルテと娘は名づけたらしい。茶色い馬体に黒いタテガミ。すべて同じに見えるが娘には区別がつくようだ。

「なかなかスジがいいですよ、チコさん」
 板ごしに娘の得意そうな息づかいと鼓動が聞こえる。心を繋がなくとも、言葉を交わさなくとも、近くに存在するだけで情は移ると思い知らされる。不運におちいった弱い者を助けたいという素直な感情。当の娘にだけは絶対に気づかれてはならない。

 それにしても信じられないのはティアだ。身の上ばなしを聞き、同じ作業をし、共に食事をしていながら、友情はすべて演技。娘のことを解呪の検証材料としか考えていない。呪縛からの解放後、自力で生きてゆけるよう知識や技能を修得させてはいる。行き届いた配慮だが、そこに同情や共感はない。

 我は我、他人は他人。冷厳で正確な思考。
 ティアはおそらく他人のためには泣かない。
 行動の源であるカタキへの憎しみですら、計算に包まれ本音が見えにくい。

 娘へのティアの接し方を見ているうちに、私への態度も同様ではないかと疑いはじめていた。意地悪も皮肉も、人がましい感情を装った計算づくの言動。
 惜しみなく与えられるテンプルの知識。恐怖を植えつけられた破邪呪の発動。根拠の無い自信を奪われた試合。ドライリバー城の跡地で限界を味あわされた事すら、目的にそった……。

(もう明けた?)
 とつぜん心話を送られ、危うく悲鳴をあげそうになった。首をふってから、車内は暗すぎて見えないと気づいた。
「まだ」
 ティアが口を手でおおって見せる。声を出すな、か。娘を食らう者と救う者が、親しく言葉を交わしては不信をまねく。

(今夜あたり着くよね)
(昼に馬車を止め、夕刻から馬に乗れば夜半に)
(本っ当に瘴気《しょうき》は大丈夫だよね? シーナンにトドメ刺しに行った連中は病気で死んじゃったんだよ。毛がぜんぶ抜けて体中アザだらけになって……呪われないよね)

(劫火《ごうか》が放たれてから35年。もともと瘴石《しょうせき》は重水を爆縮させるための物。量も少ないから数日も経てば……学ばなかったのか?)
(危ない呪法は全部かくされてた)
 攻撃用の火炎呪を万人にバラまくテンプルだが、最低限の良識はあるらしい。

(たとえ影響があっても、私が滅びなければイモータルリングの恒常効果が健康体を維持します。城の宝物をあさりに行った者が1人も戻らないのは、おそらく別の理由)
(それが、旧友サンか)
 どんな状態になっているかは分からないが、『何か』が残っているのは確かだ。

(もしもの時、呪縛が解けたニー……あの娘が帰れるよう2頭は馬車と残す。城へはエステとノルテで行く。でも乗馬用にも調教されてる馬、なんで3頭じゃないの)
(高いんです)
(なんであたしとあんたが2人乗り?)
(体重の問題です)

(なんで乗馬できないの)
(……今まで必要を感じなかった)
 意外そうな顔をされた。ティアが乗れるのは、急患の元に駆けつける為。治療師や聖女に馬術は必須らしい。

(横鞍《サイドサドル》の女の腰にしがみつく気? かっこ悪いよ)
 つまり同乗して欲しくない、ということか。ため息ぐらいついてもいいだろう。車輪とスプリングの騒音にまぎれて人の耳には届かない。
(なら、私自身の足で走ります)
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4.サウスカナディ城


 アレフは岩をけり、とがった葉の低木を跳びこえた。夜風をきって走るのは楽しい。速さそのものが快楽だ。

 ドルクとティアの気配は遥か後方。本気で走れば馬の方が速い。だが、足場の悪いガレ場を、乗り手にも負担のかからぬ速度で、繁みを回避しながら駆ける馬が追いつく事はまずない。

 ここ数日間のうっとおしい気分が風の中に解けていく。
 すでに脈も呼吸もない身だが、胸に過度の負担がかかる様な行動を続ければ、爽快さを感じる。生身だった頃の習慣が頭にしみついているのか、人の心を失わないための擬似反応かは判らない。

 だが、爽快さの代償に力は消耗する。補充するには、あの娘の喉に牙を突きたて奪うしかない。

 アレフの口づけを喜ばない娘の存在は、痛いと同時に甘美で腹立たしい。塞がり切らぬ傷をこじ開けるときは強ばり、血をすすりとっているあいだ震え続けるか細い体。心の底に押し込めてきた残忍さを否応なく自覚させられる。

 疑っていた恐怖が現実だと知った瞬間のおののき。抗えぬ運命を悟りこわばる顔。声も封じられた無力感にこぼす涙。
 血を味わうより先に娘の反応に愉悦を覚えていた。

 最良の予想が当たれば、この先に待つ何者かに会って無事に戻る道すがら、待ち伏せていた横取り狙いの襲撃者を生け捕りにして飢えを満たす。娘にこれ以上の負担を強いる必要はなくなる。

 最悪なら、私とドルクが灰と化し、娘は呪縛から解放され……
 いや本当の最悪は、滅びる一歩前の傷を負い、娘の命を飲み尽くす以外、手のない状況におちいる事か。

 足がゆるんだ。
 いつしか足元の石に、人工的なレンガや陶器の破片、そしてこげた金属が混ざるようになっていた。

 丘の頂上から盆地を見下ろした。建物が吹き飛ばされ四角い基礎だけが残る城下町の跡が広がっていた。その向こうに無傷だが灯もなく生き物の気配もない黒々としたサウスカナディ城が横たわっている。

 風化しかけた破壊の中心部には、溶け折れた金属の檻《おり》。おそらく瘴石を採掘できるウェンズミートで作った劫火《ごうか》を、オリシアの御座船を使って運び込んだのだろう。たとえ術式は書物で知る事ができても、大昔に封印された禁断の技。今の職人たちの腕で蘇らせたとすれば、小型であっても荷馬車で運べる重量には納まらなかったはず。

 人々の体と営みを蒸発させ吹き飛ばし、焼き尽くした災厄の跡を歩いて城門前に立った。炎と熱は城壁が防いでも、死の光が城をつらぬき、地上部分にいた者達はおそらく即死。シーナンが作り出した眷族も大半が二度と動かぬガラクタになったろう。

 たまたま地下深くにいて難を逃れた者も、危険な数日だと知りながら……いや危険だと教えられずに攻め込んだ討伐隊から、シーナンを守って散ったのだろうか。

 馬のひずめが小石を踏みくずす音を、遠く背後に聞いた。振り向くと、丘から降りてくる影が二つ。夜目が効くドルクに先導されてティアも無事にたどり着いたようだ。

 土に埋まりかけた堀を一周し、城の正面に戻った時、ドルクが折れ残った廃墟の柱に馬を繋いでいた。
「城の井戸は使えるでしょうか」
「おそらく……だが、守護者がいるようだ」
 視線で暗い城の窓を示した。
「割れたガラスをていねいに紙で貼り合わせてございますな。根気のいる事を」
「彼らに飽きるという概念は多分ないよ」

「行くんでしょ」
 ティアがサドルバッグに差していたスタッフを引き抜いて、かるく型を演じる。最初からケンカごし……乗馬で強ばった手足をほぐしていると解釈しよう。

 石造りの橋の先、正面の鉄の門はかたく閉ざされていた。助けを求めるような手の跡がいくつか焼き付いているのに気づく。城を取り巻く砂ぼこりのいくらかは、ここで死んでいった人々の骨かもしれない。

 横のくぼみの奥にある通用門を試す。鋲打ちされた冷たい金属の扉の中央に手のひらを押し当てた。
「アルフレッド・ウェゲナー」
 名乗った直後、扉の一部にあわい燐光が現れたが、すぐに消えた。扉は開かない。厚い石壁に包まれていたお陰か死んではいない。だが、正常でもない。

 物入れから水晶玉を出した。洋上にいるとき身を守ってくれた地の結界の術を、開錠の術式に書き換える。扉に近づけ術を発動させた。
 扉を支配している呪を、水晶球が解き組み替えていく。あわい燐光が四角い図形をいくつか描いた後、扉は内側に向かって静かに開いた。

 内部は清浄だった。
 チリ一つ落ちていない暗い床。顔が映りそうなぐらいなめらかな黒い壁は、かつて訪れた時のまま。だが狭い階段を登りきった先、正面のホールに見た事のない物があった。

「金色の、ヨロイ?」
 ランタンを掲げたティアが息を呑む。こまやかな細工をほどこした全身ヨロイが、中央に立っていた。だが、人が着るには大きすぎる。背丈は常人の二倍、横幅は三倍。

 ホールに足を踏み入れた直後、金色のヨロイは静かに戦斧を振り上げた。

 重い足を引きずって迫ってくる金色の騎士の姿に、アレフは引き返そうと思った。だが戻るべき通路の天井から、人より軽く硬い異質な気配がいくつか降り立つのを感じた。おそらくサウスカナディ城を守る主役は彼ら。派手なヨロイ人形は逃げ場のない隘路《あいろ》へ追い込むおどしか。

「この下半身デブが旧友さん? 人……生き物じゃないよね」
 スタッフを構えたティアの声は冷静だ。
「よく分かりましたね」
「聖騎士みたいに臭くないもん」
 なるほど、プレートアーマーを着た人間なら、刺し子や革ベルトに染みた汗が臭う。

 ななめから振り下ろされる戦斧を避けて走った。床から指一本の空隙を残して危険な諸刃の斧は弧を描き、元の位置へ戻る。ホールの床や壁に目立つキズはない。守るべき城を壊すような戦い方はしないということか。ならば
「奥の階段のそばへ」
 入り組んだ場所なら動きが制限されるはず。

「あれって本物の金?」
「おそらく表面だけサビ止めに」
 金の被膜の下は厚い鋼だろう。表面をうめる渦の意匠も強度を上げるため。なまなかな攻撃は通じまい。

「これ程なめらかに動く大きな自動人形《オートマタ》とは、さすがシーナン様でございますな」
 ドルクは武器を収めたまま。獣化して斧を振るっても腕を痛めるだけだと気づいているか。

「なんだ、ゼンマイ仕掛けのカラクリか」
「ゼンマイが切れる事はないですが」
 おそらく動力源は“船”と同じもの。100年は動き続けるはず。
 方向転換した金色の騎士は戦斧を振り回せないとなると柄で突いてきた。散って逃げたが、疲れを知らぬ相手ではいずれ3人とも捕まる。高窓から差し込む陽光のなかで両断され灰と化す未来図が頭をよぎる。

「カラクリでも衛士なら、あんたの言うこと聞くんじゃないの?」
 正面の大階段の中ほどからティアが叫ぶ。
「話の通じる相手ならまず警告があります。さっき術で強引に門を開けました。彼らにとって私は、窓を割って侵入した賊と大差ありません」
「ヴァンパイアの腕力で何とかなんない?」
「柄まで鉄で出来ている戦斧を完全に制御する相手に、私が敵うとでも?」

 ドルクを追い詰めようとしている金色の騎士の肩に、小さな火球を当てて注意を引く。この程度の熱量では一部を灼熱させてもすぐ常温に戻る。氷漬けにして足止めするのはムリだろう。湿度が低すぎる。風を操って作る真空もおそらく無意味。

 あとは土か……何か記憶に引っかかる。砂鉄がどうのと泣いていたのは誰だったろう。折ってしまいそうな細い手首。暗い部屋の隅に伏せる老婆の昔語り。排除しようとしても突き刺さる心の叫びと記憶。携行食として買った娘に助けられるか。あまりの皮肉さに笑えた。

「ティアさん、刀子でヒザ裏の黒い被膜にアナを開けられますか?」
 戦斧を避けながら叫んだ。法服のすそを大胆にまくり上げ、虹色の小刀を手にするのが見えた。不意に持ち手を変えて襲ってきた柄に、したたかに脇を打たれたが、肋骨のヒビ程度ならすぐに治る。次の一撃を転がって避けたとき、二条の光が金色の騎士の背後へ放たれるのが見えた。

 一つは金属音。もう一つは鈍い音。金色の騎士がしばしあがき、戦斧で器用に左ヒザ裏の刀子を叩き落とす。だが、精妙なヒザを守る蛇腹状の被膜は、かえって裂け目が広がったはずだ。

 ベルトの物入れから触媒に使う鉄粉の小ビンを出し、コルクを抜いた。風の呪を唱えつむじ風に鉄の粉を乗せて黄金の騎士にまとわりつかせる。
 ほとんど音も無く動いていた金色の騎士から、耳をふさぎたくなる異音が生じた。それでも数歩、すり足で向かってきたが左足に重心が移った瞬間、動きが止まった。

 この重量では、片足が動作不良になっただけでも命取りだ。関節部から完全に鉄粉を除去するまで金色の騎士は動けない。

「もう大丈夫?」
「多分……」
 階段から降りてくるティアに答えながら小ビンを戻し、扉を開けるのに使った水晶球を取り出した。金色の騎士に言葉は通じない。だが、昔シーナンがくれた水晶ごしでなら話せるはずだ。


 動きを止めた黄金の自動人形と対峙《たいじ》されているアレフ様を意識しながら、ドルクは斧の柄をつかんだ。
 通路と青白い大扉の後ろに小さな気配が増えていく。中庭の窓に貼り付くチーズ大の丸い影は、無人の城を守り整えてきた小型のオートマトン。夜空を模した丸天井を頂くこの広間はすでに囲まれている。

 他の太守方と違って、シーナン様が用《もち》いておられた眷属《けんぞく》は生き物ではなかった。外見は愛らしいがフタを開ければ歯車だらけの時計と同じ。体も心も硬く融通が利かない。しかも独特の言葉で互いに繋がっているという。

 アレフ様が掲げる水晶玉の周囲でまばたく淡い光。首尾よく説得できれば良いが……。一つ一つは非力でも連携されると金色の巨人より厄介な敵となる。

 階段裏の扉が開く音に、心臓が跳ね上がった。ガラスの眼をもつ青い髪の女がエプロンドレス姿で立っていた。その足元には数個の白い円盤。同時に広間に通じる正門以外の扉が開き、無数の白い円盤が流れ込み、黒い床を渦となって巡りはじめた。

 ティアの悲鳴。
 不用意に踏み出した足を円盤にすくわれたか。
 素早く体の下に入り込んだ円盤たちがナワの様な細腕で器用に支える。頭を打つのはまぬがれた様だ。しかし、そのまま手足を拘束され城の奥へ運ばれていく。ティアを助けに行きたくても、円盤たちにはばまれる。すり足では追いつけない。

 アレフ様の舌打ちを聞いた。掲げておられた水晶玉を握りしめベルトの物入れに落とされる。

 人にはあり得ぬルリ色の髪を結い上げた女中が一歩広間に足を踏み入れると、円盤たちの動きは止まった。
「君はファースト、いやセカンドかな」
「ロビィ・フィフィスです、アレフ様。他の4体は侵入者に破壊されました。比較的、破損が少なかったわたくしの修理に使用したのち破棄。ファーストとセカンドの記憶はわたくしが引き継ぎました」
「顔も?」
「わたくしの頭部はセカンドの物です」

「先ほどトルタ達が運んでいった私の連れを、返してもらいたいのだが」
 連れ……東大陸でよく使っておられた言い回し。ほんの少し前の事だというのにドルクは懐かしさを覚えた。

「失礼いたしました。被服で我が主を滅ぼした一員と誤認しました。転化なさったと認識しておりましたが、ネリィ様はまだ生身でいらしたのですね」
 生身の娘が40年経っても同じ年恰好でいると思うあたりが自動人形らしい。それに髪の色は同じダークブロンドだが、ティアの眼は紺色、ネリィ様は褐色。まさか経年変化の範囲とでも思っているのだろうか。

「ところでアレフ様、このたびのご訪問の目的をまだ、お伺いしておりません。水晶玉を使っての無断開錠。ガーディアンの無力化と、そしてわたくしの管理領域への侵入。この城と領地をご所望なのでしょうか」
「この地への野心は無い。私は会いに来ただけだよ。ロビィ・ゼロはまだ居るかな」
「地下の研究室に。近いうちに活動限界がおとずれますが、まだ動作中です。ご案内します」
 ガラスの眼を伏せ、自動人形が地下へいざなう。

 なめらかに下る地下通路の途中、白く発光する円盤に先導されたティアと再会した。
「あたしミイラだらけの牢屋に入れられたんだよ。ったく、気持ち悪いったら」
 言われてみると、ティアの服にはカビとほのかな死臭が染み付いている。

「侵入者は生け捕りにして牢に繋ぐよう、命じられておりますので」
 そのこと自体は間違っていない。ドルク自身、城に侵入するものがあれば、自動人形たちと同じ対応をする。だが……罪人を裁き、血と引き換えに赦すハズのシーナン様は既にない。

「それで、虜囚に水や食事は与えているのですか?」
「いいえ、水や食事の事は命じられておりません」
 一攫千金を夢見てきた者達の無意味な死に気が滅入る。こうした自動人形の悪意の無い残酷さは、好きになれない。

 行く手に鏡の扉が見えてきた。アレフ様の姿だけが映っていない銀色の扉に、青い髪の自動人形が手をかざす。横にすべっていく鏡の向こうに、もう1体の自動人形が待っていた。髪の色は淡い緑。

「……あ れ ふ サマ……」
 たどたどしい、かすれた声。だが懐かしい。この自動人形には昔たしかに会ったことがある。海と大地を走る黒い船を受け取る旅にお供した際、ドルクは彼女に会っていた。

「久しぶりだね、ロビィ」
 アレフ様が呼ぶ。彼女はただのロビィ。当時、自動人形は彼女ひとりだった。
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5.白と黒と揺らぎ


 タイル張りの地下室は青白い光に照らされてた。作業台に座ってるのはハダカの人形。若草色の髪はうすくて、ガラスの眼は夕日色。言葉を話しているけど口は微笑んだまま動かない。人に似せて作られたハズなのに関節が甲虫っぽい。

 馬車で留守番してるあの娘を思い出して、ティアは目をそらした。たぶん手足の細さのせい。パンも肉もイモも、一番大きいのを食べさせてるのにヤセたまま。滋養をつけても失った血を作るのについやされる。そして血が肉になる前にアレフが掠め取っていく。まるで穴の開いた水入れ。今のままじゃ解呪に耐える体力つかないかも。

 等身大人形との再会を喜んでる男ふたりはほっといて“研究室”を見て回った。
 書棚はくっきりした筆跡の旧字で埋められた帳面ばかり。奥にはあたしにハジをかかせてくれた丸いヤツが、つづれ織りみたいな中身をさらして十個ばかり積まれてた。

 壁には、作りかけなのかコワれているのか分からない、鉄人形が8体。右のはイブシ銀のヨロイで、金色のヤツと同じ大きさ。左に行くほど小さくなって、一番ハシの黒いのは小柄な人ぐらいだった。手が刃物になってるのもいる。

「ホロビ……タ、オ父さんノ、さいご……コトバ」
 お父さんね。子供を作れない不死者が、人形作って永遠の親子ゴッコ。バカバカしい。病気の心配も反抗期もない親孝行すぎる子供じゃ、哀しみがないぶん可愛さや面白さも半分なんじゃないかな。

 振り返ると作業台の上に、半透明の小人がいた。白い長衣に気取ったヒゲのやせた男……あれがこの城の主だったシーナン・アウグスト。
『誰が聞くかは知らん。これが最後の研究報告になるかも知れん。テンプルのヤツらファラ様から奪った知識を悪用してキマイラを作りおった。堀を切り壁を厚くして、ロビィ達に対抗させて来たが……』

 子供を残して逝かなきゃならない不安や、先立たれる心配のない親子関係ってどんなだろう。あたしは……死別するって小さい頃からわかってた。
 呪縛を解くためにあたしがアレフを滅ぼしたら、裏切り者の親として父さんは処刑されたはず。その前に一度でいい。あたしを一番に思ってくれたらそれで十分。たとえ憎しみでも、父さんの心があたしで一杯になるなら、かまわないと思った。

『誰かがヤツらから賢者の石を取り上げねば、みな滅ぼされる! モル1人の逆恨みで有能な魔法士が失われるのは、世界にとってえらい損害じゃ!』
 ……滅びる前、シーナンは残していくロビィたちの事を考えたのかな。ロバート・ウェゲナーが戸惑いながら、アレフの行く末を心配してたみたいに。

『船が街に突っ込んできただと? ワシが4番目に作ったプリュームか。まったく次から次へと』
 もっともシーナンは人形を戦わせて、盾にもした。生身の人間が我が子に抱くほどの思い入れは無かったかも知れない。
『ロビィ、次にここへ来た不死者に、これを見せるんだぞ! 健勝でな』
「イ…ジョウ…です」
 半透明の小人を見つめていたロビィとかいう人形が正面を向くと、シーナンの姿はかき消えた。静けさが戻った。

「お茶で一息つかれますか」
 青い髪の……口もちゃんと動く等身大人形が、銀色のお盆に載せたガラスの茶器を運んで入ってきた。声も動きも表情も妙に人間ぽくて気持ち悪い。作業台に座ってる微笑みっぱなしの人形の方が、まだ可愛げがある。

「このような代用品しかお出しできなくて、申し訳ありません。牢に入れておいた者達は、お召しいただけない状態になっておりました」
 代理人候補を見るかぎり、アレフに選り好みまったく無し。温かい血が流れてるなら誰でもいいって感じだけど、さすがに干からびた死体からは飲めないか。

「代用品って、なに?」
 透明なポットから切子のグラスに真っ黒な液体が注がれる。匂いは治療師からせしめた高価な乾燥ハーブに少し似てる。味は……ほのかに甘くてシブくて青臭くてとろみがあった。そんなにヒドくない。体が温まって、ちょっと頭がすっきりする感じ。

「なぜ、アレフ様より先に貴女が飲むのですか?」
「いわゆる毒見。気にしないで」
そう言ったのに青い髪の人形は気にしたみたいで、金色の目でにらんでる。

 そっか、薬って手があった。キングポートの薬屋で聞いた乾燥ハーブの煎じ液の効能……気付け薬、強壮剤、病後の体力回復。これ、使えるかもしれない。
「葉っぱがまだあるなら分けてくれない?」ただでさえ無表情な人形がもっと無愛想になった「あたしが飲むわけじゃないんだけどな」

「アレフ様、異空間上にシーナン様が組み上げたケアーとの接続標識となる呪を、お手持ちの水晶球に組み込ませてください」
 青髪人形、あたしを完全に無視しやがった。
「シーナン様と私たちの全ての記憶は、ケアーに預けてあります。永久に消えることは無くとも、この先、誰の目にも触れないのなら、時の中で朽ち果てるのと同じ事」

 涙のない泣き落としかける青髪人形に、アレフが水晶球を渡す。予備があったと3個の水晶球を持って戻ってきた青髪人形が、恵んでやる、みたいな態度でビン詰めの黒い茶葉を、座って待ってたあたしのヒザに落としていった。


「最近よく教会で告白していく馬丁の子が……。おそらく、倒錯行為の犠牲になったのだと思います。幼い少年には意味が分からず、痛みと出血を吸血鬼に噛まれたと」
 光る頭をなでながら話す教長に、ルーシャはお義理の笑みを浮かべうなずいた。

 ウォータまで北上したが探し人の手がかりはなかった。もしやとサウスカナディ地方を南下する街道をたどってきた。だが、全ては無駄足だったかも知れない。

 子供たちが帰った後の教会は、静か過ぎて空しい。日がホコリのスジを照らす。徒労感が増す。

「そういえばチコが話していた吸血鬼……黒フードの銀髪の若者でしたな。身をていして逃がしてくれた聖女は金褐色の髪の娘。ですが、偶然でしょう。わざわざ馬車を仕立てて廃墟同然のサウスカナディ城を見に行った、変わった趣味の金持ちに過ぎません」

「サウスカナディ城……そうか」
 ルーシャは目を見開いた。街道をとつぜん離れた理由。吸血鬼かぶれの若者なら、ほぼ原型を留めている旧時代の城を見たいと思っても不思議は無い。
「その少年に会えますか?」
「助手として親方と荷馬車に乗ってないなら、駅で馬小屋の掃除をしていると思いますよ」


 チコは馬糞で汚れた子供だった。チョッキも半ズボンも無造作にしばった黒髪も顔も汚れて悪臭がひどい。ともかく、歳かさの馬丁見習いに銀貨を渡して、馬小屋から連れ出した。不安そうだった顔は、アニーの姿をみて少し笑った。助けてくれた聖女と重ねているのかも知れない。

 厚い土壁にかこまれた告白の小部屋で、黒い紗の幕ごしに、アニーがチコと話している。二重に張り巡らされたビロードのカーテンが声を吸い込む。その裏にたたずむルーシャは息を殺し耳を澄ませた。

 アニーが教長から聞いた話をすると、見知らぬ者に打ち明け話をもらされた事を悔しく思ったのか、チコは沈黙した。しかし、すぐに涙声で“ティアさん”を見捨てたことを詫び始めた。

「あた……ボクを馬車に残して三人で出かけて、次の日の夕方戻ってきた時には、ティアさんの手首に赤い布が巻かれてた。いつもより元気なかった。ボクの代わりに噛まれたんだと思う」


 その二日後、馬車が五人組のゴロツキに襲われた。城から何か宝を持ち帰ったって思ったみたい。それで横取りに来たんだろうって、後でティアさんが言ってた。

 ゴロツキが撃った矢からボクをかばって、ドルクさんがケガしたんだ。
 でも、あいつは全然気にしてなくて、霧でゴロツキたちを動けなくして笑ってた。そして一番若い男を選んで馬車の中につれてったんだ。猟師が仕留めた獲物を運ぶ時みたいに、楽しそうに。

 ティアさんすごく不安そうだった。新しい贄が手に入ったら、ボク達は飲み尽くされるかも知れないって。そうならないよう、血以外でも役に立つと思われるように、馬の世話とかいろいろ覚えた。だけど、ボクみたいな力の弱い召使いより大人の召使いの方が良いと考えるかも知れないって。

 だから、あいつが新しい贄に夢中になっているスキに、ノルテに鞍を置いて身の回りのものだけ持って、二人乗りで逃げたんだ。

 でも、血の絆がある限り遠くに逃げても居場所が分かっちゃう。だから、解呪をしてみるって、ティアさんが言った。

 黒い薬湯を沸かして飲んで、地面に描いた方陣に寝そべって、ガラスのビンに入ったショクバイってのを首の噛みキズにつけて、おでことおでこくっつけて……儀式の間は、なんだか夢を見てるみたいな感じだった。

 解呪した後は頭がすっきりして、あいつの事を考えても怖くなくなった。治癒の呪で首のキズも、ティアさんの手首の傷も消えた。これでもう、あいつからは自由だって思った。ティアさんが持ってた男の子の服着て、たどりついた町で馬を売って、お金作って、あとは家に帰るだけって。

 けど、追いつかれた。売ったノルテから足がついたんだとおもう。
 ボクを逃がすために、ティアさんはオトリになって捕まって……連れて行かれるのが見えたのに、足がすくんで助けに行けなかった。

 その時のこと、ずっと悔やんでて、ここで教長さんに打ち明けるまで、ずっと眠れなかった。

 あいつ……ティアさんの法服が欲しかったんだ。テンプルの聖女が横にいたら、吸血鬼だって疑われなくて済むから。たぶん、まだ飲み尽くされてない、殺されてない。きっと生きてる。

「だから、ティアさんを助けて」
「大丈夫、助けるわ」

 すがりつく様なチコの声に、力強く応えるアニー。ルーシャも頼もしいと感じる慈母の風格だ。
「それでティアさんを捕らえている吸血鬼の名前は?」
「分からない。アーネストって宿の人は呼んでた。でも本当の名前じゃないと思う」

 追うべき相手はアーネスト、か。
 チェバの宿でも同じ偽名を使っていた。だが、それ以前は別の名を名乗っていた。なかなかに用心深い。だが、追い詰めてみせる。

 このまま北上したとすれば……行き着く先は水の街ウォータ。
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