夜に紅い血の痕を

著 久史都子

『夜に紅い血の痕を』第十五章 殺戮の選択

第十四章に戻る | 第十六章へ | もくじへ |

    ページ内ジャンプ  1.塔にかかる月  | 2.緒戦と誤算  | 3.祈り | 4.始祖の戦い  | 5.夜明け後の闇  | 6.武勇歌
1.塔にかかる月


 尖った黒屋根をいただく円柱の高楼をアレフは見上げた。無数の気配を宿しながら小さな窓には灯ひとつない。丸みを帯びた大小の石が隙間なく積み上がった様はバフルの石組みに似ている。だが、雨が多いのか単に古いのか、城館の壁には縦筋が多い。

 振り返れば我ら四人を送り出した深い森。高い塀か小山の様だ。その一角に、土と周囲の樹を黒く焦がす火事の跡。北の空に浮かぶ半月が暗いくぼ地を覗きこむ。

 そこに根を張り枝を広げていたトネリコが焼かれなければ、ドライアドは人や不死者の命運など、無視したのではあるまいか。

 この地から憂いをぬぐえだと?
 作られた眷族の分際で不死者を穢《けが》れあつかいか。

 ドルクが背負う白木の弓は、トネリコの大樹の娘が、命と引き換えに身から削りだしたもの。バックスに焼かれた母の仇を討ってくれと託された。だが、彼女の言葉は本当か。バックスをグリエラスと間違えたなど……

 ティアの話が事実ならバックスは白ヒゲの老人だ。グリエラスは黒髪。壮年の姿のまま時を止めて数千年、森の主であったはず。確かに、別種の個体は見分けがたい。だが、白猫を黒猫と見間違えるものか。

 ドライアド達の肉体は樹木だが、精神体は女の姿をとり人語を解す。グリエラスが造りし人の心を持つ長命な眷族。見目のいい男を取り込み、子を成す事もある彼女らに、人の顔の区別がつかぬワケがない。

 森を侵し牧草地や畑に変えたせいで不興を買ったという村長の言葉は真実のような気がした。木を植えなおすとしても茶樹やコカラ豆といった換金率の高い木ばかりを育てる、私欲に走った園丁に対する罰。それが、テンプルが造りし吸血鬼を、森に守られた城に受け入れた理由ではないか。

 これ以上、人の手で森の在り様がゆがめられては病害虫が発生する。それを恐れて、人に若木を間伐させるように、余分な人を間引こうとしたのではあるまいか。バックスらが広げる不死の呪いを黙認し助長して。

 そして、後始末を私に押し付けるか。
 始祖を害することが、どれほどの大罪か知らぬわけでもあるまいに。企むだけでも、死罪か鉱山送りだ。

 森にあまねく広がる目であり耳であるドライアド共は、見聞きした反逆のきざしを、葉と根で伝え合い、グリエラスに密告していたはず。だからテンプルは、厚い石壁にかこまれた地下の金庫室で、破邪の呪法を編み出し、研ぎあげたと聞く。

 だいたい旧法上、秩序を乱した始祖に滅びを与える資格を持つは真始祖ファラのみ。彼女を喪った今となっては、最年長者……私、か?

 そんな重荷、とても背負えない。

「おい、足がすくんだのか。おいてくぞ」
 ひざ上まで垂れた鎖帷子《くさりかたびら》だけでも重いだろうに、にぶく光る被り物もして、大剣まで背負っているテオ。確かに体格と腕力は一人前以上だが、中身は幼さを感じるほどに単純だ。

 その剣で断とうとしているのが何者か、分かっているのだろうか。元は人だったもの。親戚や知人がいるかも知れない。“なりそこない”と違って、彼らの心は失われていない。姿もほぼ生前のままだ。

「ちょっと待ってよ。お腹へってない?」
 テオを追い抜き、灰色の法服と蜜色の髪をひるがえして振り向いたティアが、バスケットを突き出す。
「半日食べてないでしょ。もしかして朝からじゃない。森にいる間はドライアドが何とかしてくれてたのかもだけど、この先、パンだの壷シチューだのノンキにパクついてられないと思うの」

「わたくしも夕食に賛成でございます。空腹で倒れた剣士など背負いたくはございません。その重そうな剣を置き去りにしてもいいなら、話しは別ですが」
 ドルクは分かっているはずだが、この状況で夕食。日常性が、かえって非現実にすぎる。

「結界は任せたから」
 かつては城と森の境界にあった倒れた石柱に腰掛け、ティアがバスケットの中身を広げ始める。城壁に切られたボタン穴のように細長い窓から、敵意ある視線がにじみ出すのを感じた。

 仕方なく、六方向の草を結び、方陣で倒壊した石柱をかこむ。
 これで、軽い呪法ていどなら弾ける。結界の外からこちらの姿は見えにくくなり、会話はこだまして聞き取れぬはず。

 最初は腕組みしていたテオだが、ティアがパンをかじり始めると、ドルクからリンゴを受け取った。やがて黒茶をすすり、ぶつ切りの干し魚や根菜にキノコが絡む壷煮をパンに載せて貪り始めた。よほど飢えていたらしい。

「アレフは食わないのか?」
 元々、三人分だ。食べるまね事をしてわざわざ吐くような余裕はない。
「村で食事は済ませてきました」

 テオの伯母の味は覚えていない。支配できないイラ立ちと焦りに駆られ、楽しむ余裕はなかった。だが不味くはなかったはず。今のところ渇きは感じない。
「私の分はさしあげます。遠慮なくどうぞ」

「あんた、いい人だな」
 表裏のない素直すぎる言葉。
 私は善人ではない。人ですらない。苦笑する他なかった。

「さっきさあ、森に立ってたハズなのに、体が浮いたと思ったらココに来ちゃってたよね」
 手についたパン粉とシチューをなめとっているティアが、次に放つだろう言葉は予想がつく。先回りして結論を告げた。
「不可能だ」

「仕組み、わかんないんだ」
「あれは実際に見知っている場所か、血の……」
 テオがいると話題に制約が増える。ドルクに二枚目のパンを要求している無邪気な剣士を目のスミで捉えながら、言葉を選んだ。

「心が通じ合うほどに親しい知り合いがいる場所にしか、行けない術法だ。私はこの城に招かれた事がない。それにこの人数を包む空間を入れ替えるには力がかなり要る。結界の問題もある」

「不意打ちがムリなら、やっぱオトリかな。異界の生き物の召喚……はイヤなんだっけ。じゃあ、バフルでやった手は?」
 既に不死化しているものに、重ねてビカムアンデッドをかけてどうする。

「城全体にホーリーシンボル」
 そっちか。中庭からあふれた無慈悲な光柱と、余波で焼かれた肌の痛みが鮮やかによみがえる。だが、この城全体となると、ティアの力でも浄化しきれまい。

「生殺しは賛成しかねる。死に物狂いの死人……それも理性を失っているとなれば、始末に負えない」
 正直、見たくない。それに、なりそこないと違って、やがては回復してしまうはず。

「だいたい方陣の交点、等間隔に十ヶ所も何を埋めるつもりだ」
「まわりの木、ドライアドに増幅してもらうの」
 理にはかなっているが、彼女らは首を縦にふるまい。
「樹木そのものに害はなくとも、ホーリーシンボルは土と精神体を変容させてしまう可能性がある。断られるはずだ」

「じゃあ、どうしたらいいわけ?」
 出来れば何もしたくない。自分と同じ不死者とは戦いたくない。キニルでは手痛い敗北を味わった。怒りで冷静さを失っていたとはいえ、覚悟もなく挑んでいい相手ではない。頭と胸を破壊し灰化させなければ止められない相手と争うなど、正気の者のすることではない。

「……あんたに相談したあたしがバカでした。じゃあさ、この建物そのものはどうなってんの」
 水晶球を介して、ケアーに訊いてみる。いびつな台形が青白い光によって地面に映し出された。

「北の大きな塔と方形の建物は透過壁を多用した温室と研究室。ここから見える東の門を備えた2つの塔と棟、南の湾曲した棟と小さな塔は、使用人や贄のための施設。中庭を越えた西の棟と、塔と呼ぶには太すぎる丸屋根は私室に広間に客室」

「便利なモンなんだな、水晶玉の占いってヤツは」
 覗きこんでうなづくテオのカン違いを、正すべきか悩んでいた時、ドルクが傍らに置いた弓から緑の光が生じた。漂ってきたホタルの様な光は、図の上で空気を震わせ高い声で語りだした。

「これは過去の姿。外見はあまり変わっておりませんが、主を失った建物はゆっくりと死ぬもの。床や階段の一部は崩れ抜け落ちております」
 ドライアドだとは思うが、人の姿を取れないのは結界をぬけた際に力を削られたのか、他の樹の幹からなる弓を介しているので、全ての力を出せないのか。

「そりゃ、二十年もほったらかしじゃあね。で、バックスはどこにいるの?」
 ティアの問いに緑の光が明滅する。図では西の塔の二階部分。
「ここの広間で、配下の者を集め王のまね事をしています」
「こっそり近づくとしたら?」
 光が移動する。
「南棟の地下通路か、西の壁から」

「やっぱりオトリがいるわね」
「二手に分かれるのは上策とは思えませんが」
 最後のパンに、つぼをさらえたシチューをのせながら、ドルクが口を挟む。

「この結界、使えると思うんだ。泥で作った人形に爪とか髪を仕込んで分身作る術ってなかったっけ。声はお節介なドライアドさんにやってもらって、ずっとピクニックしてるように見せかける。で、あたし達は幻術で身を包んで南棟から入る」

 ドルクの手から褐色の汁と焦げを盛り上げたパンを奪いながら、ティアが笑った。
「たくさん居るみたいだけど、手強いのはバックス自身と、その取り巻きだけでしょ。なるべく他の者は適当にいなして、魔力も体力も温存。始祖だけをブチのめす」

 胸が掴みつぶされるような痛みを覚えた。
「目の前でトドメを刺さなければ、なんとか耐えられるよね?」
「わからない」
 手足のふるえと、吐き気をこらえた。

 唯一の救いは、始祖が違う血族の心は読めぬこと。人や“なりそこない”の時と違って、手にかけた者の断末魔の苦しみや絶望を、じかに感じる事は出来ない。

 まさか、こんな時のためにわざとファラは……いや、そんなハズはない。
 アレフは強く首を振って否定した。

「髪をひとすじ下さい。形代《かたしろ》を作ります」
 今は考えたくないことより、泥をこねることに専念する。人型にする時間は無い。湿った黒い土を握りしめ体毛を埋め込んで玉にする。方陣を刻み呪を唱えて当人の影に置く。

 まずは、笑顔でパンを口に押し込んでいるティア。そして控えめに微笑むドルク。黒い影からなる分身は月の光を透過し、動かず表情も変わらずまばたきすらしない。なんとも不出来な身代わりだが、遠目なら……そして結界ごしなら、しばらくはごまかせる。

 暑苦しいほどにたくましいテオの写し身を座らせた横に、己の分身を置いた。不安そうな顔をした映し身は、細く白く頼りなげで、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 1.塔にかかる月  | 3.祈り | 4.始祖の戦い  | 5.夜明け後の闇  | 6.武勇歌  |ページtop

2.緒戦と誤算


 テオは腰のベルトを締め直した。鎖帷子《くさりかたびら》は肩がこる。けど両手で剣をふるうオレにとってはコレが盾の代わりだ。弁当食うあいだは外していた手甲と足甲をつけ、鉄兜をかぶる。最後に剣をかたげて振り返った。

「パーシーさんも言ってたよ。前の時は出会うヴァンパイアを片端から滅ぼしてたから負けたんだって。敵の数が多すぎて疲れちまったんだ。だから俺たちは、あいつらの首領だけを狙う」

 ダーモッドは矢を一本一本確かめた後、弓のツルに滑り止めをぬり、皮の胸当てと手袋をつけていた。
「オレの背中を射たないでくれよ」
「大丈夫ですよ、あなたが相手の動きを止めてくださるなら」

 ティアって子は髪を三つ編みにして、ヘビのとぐろみたいに後ろ頭にまとめていた。スタッフを軽く振るのを見て安心した。自分で自分の身ぐらいは守れそうだ。

 不安なのは鋼の手甲だけをつけて、水晶玉に向かって何かつぶやいてるアレフ。魔法士のクセに態度や言葉づかいは偉そうだ。そのワリに、ビビってやがる。泥玉こねて呪文を唱えてオレとソックリな影を作ったのは正直すげぇと思ったけど、戦いの役には立ちそうにない。

「幻術で包みました。声は誤魔化せないので結界を出たらお静かに」
「あれは? ケアー介した視覚とかの共有」
「それは城に入ってから。長く心と感覚を繋げていると、色々と不都合が」
「よくわかんねぇけど、口きかなきゃ見つからないんだな」
「……多分」
 やっぱ頼りない。

 草を静かに踏んで城の南側にまわった。城の影に入ると、暗くて足元もおぼつかない。
(ここに石段。そして壊れた扉がございます)
 これはダーモッドの声かな。力強い手に引かれて、足先で探りながら階段を上がった。

 風の匂いと足元の感触で、城の内側に入ったのはわかった。何も見えない。明りが欲しい。敵は夜目が効く。これでもし不意打ちされたら、全滅だ。

 最初にぼんやり目に映ったのは、大きな調理用テーブル。水がめ、壁にかけられた大小のナベ。壁の白いしっくいと黒い木の枠。暗がりに炉。天井から完全に干からびた鹿の半身が下がっていた。ここは台所だったらしい。

 目をこらすと床に敷かれた薄いワラや、散らばったソバの粒まで見える。驚いた。目ってこんなに慣れるもんなんだ。
(そんな訳ないって)
「ひっ」
 耳元どころか、頭の中にティアの声が響いて、テオは声をもらした。

(静かにして。これは一種の魔法。この心の声は紅い指輪を介して送ってるの。伝えたいって強く思いながら考えると相手に聞こえるらしいよ。指輪してる同士なら)
 こうかな。ダメだ。伝わってない。

 伝えたいって思いながら……
(こんな、感じか?)
(うん、上出来)
 ティアに頭をなでられる光景が脈絡もなく見えて、焦った。
(伝わるのは言葉だけじゃないけどね。いま見てる台所の様子も送ってる。これはテオが目で見てるんじゃないんだよ。見えてるはずの物を頭の中に直接映してるの)

 まさかと思って目を閉じた。
(見えてる……目をつぶっても)
 奇妙だ。でも違和感はない。
(これで、視覚だけは互角。でも油断しないで。ヴァンパイアは耳もイイから)

 うなづいて、なるべく鎧や剣を鳴らさないように静かに進む。
 城は立派なのに狭い廊下だ。ゆるやかに曲がってて先が見通せない。外れかけた扉の奥は倉庫か物置。

 行く手に階段が見えてきた。
(ここは上だよな?)
 そう確認した時、何か青白いものが階段から跳び出してきた。とっさに剣を抜こうとして……

 ガツン。
 火花が目を射る。手がしびれる。刃先が石壁に食い込んでいた。鼻の丸いおっさんがせまる。廊下の狭さを忘れていたテオをあざ笑う、その口元には鋭い牙。

 テオはとっさに体を回転させた。剣は壁をえぐり自由になったが、背中を無防備にさらしてしまうはめになる。それでも諦めず、振り向きざまに、背後に迫る敵をなごうとした。

 肩を殴られた。変な音がした。剣から片手が離れる。腕一本では大剣は支えられない。威力を失った刃先は、おっさんのたるんだ手で、掴み止められた。
「お互い生身なら、ワシはかなわなかったろうが……な」
 剣ごと突き飛ばされた。尻もちをついたテオの目に、おっさんの指先がせまる。

 突然、おっさんの丸い鼻に虹色のナイフが生えた。頭上を黒い塊が跳び越える。おっさんの顔をナイフごと蹴ったのは、アレフか? 床に倒れ、柄まで鼻に埋もれたナイフを抜こうとあがく無防備な胸に、一本の矢が突き立った。

「悪く思わないで下さいよ」
 いつの間にかすぐ近くに来ていたダーモッドが、灰と化していくおっさんに一礼した。服も骨も灰になって、残ったのは虹色の柄のナイフと、矢じりが銀色に光る1本の矢。

「この下って牢屋だっけ。見張り……かな」
 ティアがナイフを拾って、ソデをまくりあげ、二の腕のベルトに収める。法服の下に刃物ってのが、妙に色っぽかった。アレフが嫌そうに、矢羽をつまんでダーモッドに返していた。

「虜囚を助け出すのは後回しでございます。我々の侵入が知られた以上、一刻も早く目的の場所へ」
「けど、肩が」
 外れ砕けた肩にティアが触れた。呪とともに肩が痛く熱くなり、やがてむずがゆくなった。

「……治った、のか」
「喜ぶ前に、動くかどうか確かめてよ」
 言われて、尻もちをついたまま、肩を回した。
「なんともない……実は凄い聖女だったんだな」
 得意げに胸をそらす笑顔が、輝いてみえた。

「それより、使用人用の狭い通路で大剣を振り回すのは感心できません。これをお貸ししましょうか」
 ダーモッドがベルトごと、もろばの斧をよこす。それは木を倒すためのものではなく、人の命を断つための武器だった。




 髪飾りのように張り付いている、見えない使い魔にティアはそっと触れた。本物のコウモリと違って視覚も鋭いこいつが目の代わり。テオのカブトにも張り付いてるけど、気付いてないだろうな。屋内でどう戦えばいいか考えてもいないウッカリさんだから。

 あたし達が腹ごしらえしている間に、アレフが飛ばした使い魔は他にも八羽。城の内外に散らせて、音で敵の位置を知らせてくれている。

 東の棟で警戒していた者の半数、十二人ばかりが中庭を突っ切ってこっちに向かってる。残る十人は窓や塔の見張り台に張り付いてる。泥団子が投影してるあたしたちのニセモノ。ソコソコ役に立ってるみたい。

 北棟には誰もいない。少し前まで西日が射してたせいかな。温室だの植物園だのに、誰も関心がないだけかも。あたしなら金になる薬草を根っこごと掘り出すけど。

 西棟は……広間と階段に集まりだしている。
「ふぅん、バックスって意外とマトモなんだ」
 際限もなく吸血鬼を増やしてるから、てっきり破滅的なヤツだと思ってた。残念、自分の手であたしらを殺しにくるような、イカれたヤツじゃなかったか。

 やっぱ、こっちから行くしかないな。
「一気に上がるわよ!」
 ナイフが鼻骨を砕いて柔らかな脳幹に埋まりこんでゆく感触、なんてモンが残る足先を見つめているアレフの背中を叩く。ほっとくと、相手の過去とか妄想しだして際限なく自己嫌悪とやらにハマってく。考えるヒマを与えないのが一番だ。

「おう」
 勇ましい返事を返してくれるのはテオだけか。とっておきの可愛い笑顔でうなづいてやったら、勢いよく駆け上がって……。
「うわぁ」
 悲鳴と石が落ちる音。黒い風になってアレフが後を追う。

 崩れてる階段って、ここだったんだ。足クジいたかな。首の骨とか折ってたらちょっと困る。狭い階段の下から見上げたら、ふたり折り重なってヘたりこんでた。テオは肩で息してるけど無事みたいだ。アレフはなぜか固まってる。

「助かったよ。意外と力、あるんだな」
 身を起こしたテオが笑顔で手を差し出す。引き起こされながらアレフは困った顔してる。
「いえ、その夢中で」

 背中に剣、腰に斧。クサリのヨロイに鉄の防具に男ひとり分の体重。それをあの細い腕で引き上げたら、さすがに人間じゃないってバレるか。

「バァさんが火事になった家から、孫をブン投げるってコレか」
 え……そう解釈するんだ。
 いや、間違ってはいないのかな。死人の怪力って筋肉や骨が壊れてもすぐ再生するから、無茶が効くだけか。元は人だし。

 やべ、アレフと一緒にあたしまで考え込んでた。

「裏階段が使えないなら、右の園遊会用の配膳室から中庭を突っ切るわよ」
 抗議を無視して風の呪を唱える。フトコロから出した小瓶の栓を抜いて傾け、聖水をつむじ風に乗せた。

 先陣きって走りこんできた三っつの人影が、顔を手でおおって転げまわる。
「火炎呪を!」
 炎が引き起こす結果を考えさせないよう、強い口調でうながした。アレフが放った小さな火球が、入り口で怯んで立ち止まった数人をかすめ、中庭の草を燃やす。信じられない。多勢に無勢で、手加減するか、ふつう。

 ドルクがひとり射抜いてくれたけど、残り八人をどうしよう。
「オレが叩きのめす!」
 オノをぶん回しながら、テオが突っ込んでいった。さっきカッコ悪かったから、その分ムキになってるとしか思えないけど。

 しょうがない。
 無謀なテオの背中を守るために小瓶を投げつけ、スタッフを構えて配膳台を跳び越えた。上からの一撃を避けられるのは計算済み。方向を変えた下からの足払いですっ転ばせて、喉を潰す。

 ここでやっと本気になってくれたアレフが、火球でひとりの頭を焼いた。怯んだ別のヤツに、テオが深手を負わせる。反撃も受けてるはずだけど、いい暴れっぷり。さっき肩をやられた時、あまり痛がってなくて変だと思ったけど、戦ってる時は痛みを感じないタチなんだ。

 少し離れてたヤツにオノを投げつけて、テオが中庭に駆け出しながら背負っていた剣を抜いた。重くて長い鉄のカタマリをぶんまわす力は大したモノだけど、やっぱ遅いから避けられてる。
 だったら……

「押しちゃえ!」
 風精に命じて突風をぶつけた。踏ん張って重量物を回してるテオはビクともしない。けど体の軽そうなひとりが、よろめいて大剣にかかった。なんとかと刃物は使いよう、かな。

「助けを呼んでこなくてよろしいのですか? お味方はもう半分以下でございますよ」
 矢をつがえたドルクの言葉に、浮き足立ってひとり西棟に向けて走り出した。つられた様に残りも逃げていく。

「テオを治したら追うよ!」
 草はあまり燃え広がらない。しめってるせいかな。バックスと戦ってる最中に火事になって蒸し焼きに、なんてバカバカしい死に方せずに済むからイイけどね。

「軽い打ち身。かすり傷程度ですね。あんなムチャな戦い方をした割に、筋肉やスジを傷めてない」
 治癒呪をかけるアレフに、剣を杖代わりにしてたテオが、ウィンクしてる。
「そんなヤワな体じゃないさ」

 ちょっと見直した。
 英雄志願の単純バカ。せいぜい消耗したアレフを回復させるための生き血の提供者ぐらいに思ってたけど……これならホーリーシンボルを完成させるまでの足止め役として使い物になるかもしれない。



 傷ついたテオを癒していたアレフは、意識に上ってきた真逆の光景にしりぞいた。欲望のままに眼前の若者を捕らえ、喉を食い裂き血をむさぼる浅ましい悪鬼。これは、私の思考ではない。冷やかな視線を向けているティアのものか。

 急いでテオとの意識の重なりを再確認する。視界の他は、心話に付随する意識的な思念のみ。他のしもべと同じか。

 感情や体感、想像の類まで共有しているのは、ドルクとティア、そして水晶球を解して遠い地から案じているイヴリンのみ。盲点だったダイアナとの絆は意識しなければ通じないよう制限ずみ。
 大丈夫。テオには読み取られていない。

 カブトを止めるベルトに首をおおう鎖帷子、そして防具と肌の双方を保護するための厚い頭巾《ずきん》。テオを食い物と見るには障害が多すぎる。

 たわむれに細かな鉄の編み目ごしに脈に触れてみた。幼子の手の様なものが浮かび出る。樹霊の護りがテオの首を包んでいた。硬いヒイラギならともかく、薄いカエデを牙で貫くのはたやすいだろうが……さすがに無粋か。

 ありえぬ想定から生じた妄想を振り払えば、回復しかけているバックスに連なる吸血鬼たちのうめき声が耳に入る。思ったより復元は遅い。闇の子が多すぎるせいだろうか。だが、いずれ憎しみと怒りを抱いて、向かってくるはず。

 かといって、とどめを刺して回るほど非情にもなれない。むしろ、ひとりを除いて容易に回復可能な状態であることに、安堵していた。ドルクに心臓を射抜かれ灰化した男も、蘇生の術式と大量の生き血があれば蘇れるはず。

「いくよ」
 ティアがスタッフを軽やかに回す。
「本気で、正面から?」
 相手に危害を加えてしまった以上、話し合いも逃げ隠れもムダとわかってはいる。だが、余りに無謀ではないか。

「せまいとテオが活躍できないでしょ。その剣であたしたちを守ってくれるんだよね?」
 刃こぼれがないか確認し終えたたテオが、誇らしげにうなづき走りだす。ありがたいことに、テオの庇護欲は私にも及ぶらしい。英雄を夢見る剣士の心によぎるは教会の人形劇。死ぬ気ではないだろうし、私もテオを死なせるつもりもないが。

(テオに耐火呪。あたしが風を制御するから、熱をおねがい)
 相変らずティアは無慈悲な事を考える。相手にも心や痛覚があると、わかっているだろうに。

 だが、心を読めぬ相手と、視覚と思考を我がことの様に感じられるしもべ。どちらかを選べと迫られたら、理性より感情が答えを導く。
 たとえ利己的とそしられようとも、道に外れる行いであっても、先行するテオを守るには最良の方法だ。

 イモータルリングを中心に、耐火の呪と障壁でテオを包む。呪を唱えながら走り、中空に膨大な熱を集めた。熱を奪われた水蒸気が結露して、周囲にモヤが生じる。すぐ横ではティアが操る風精が旋風を生み、熱気を巻き込む。

 始祖を守るよう命じられ西棟一階に集まった者たちの大半は素手。かろうじて数人が火炎呪を唱えだしたが……護身用として教会が教えている初歩の術か。放たれた炎がテオに届く前に、ティアが操る旋風が飲み込む。明るい蛇となってうねり、事態を理解していない者たちに襲いかかった。

 触媒の油は蒸発し燃焼し、中庭へ開かれたホールを爆風と熱気で満たす。腹に響く轟音。割れ砕ける窓。服と乾いた皮膚を焼き剥がされた者たちの悲鳴は少ない。声を上げようと息を吸い込んだ瞬間、喉も焼かれたはず。

 たたらを踏んだテオの背を、ティアが叩く。
「まだ立ってるやつが居たら切り伏せて、上への道を作って」
「……おう!」
 威勢はいいが、黒く焼けただれた相手に剣を振るえるものだろうか。

 だが、すぐに要らぬ心配だと分かった。立っていた十数人はほぼ無傷。火炎呪が当たり前に習得されているなら、耐火呪を学んでいる者も少なくないか。

 まだらに焦げた壁とらせん状にホールを巻く大階段には熱気が残る。風精が建物への被害を抑えたのか、天井のヒビは少ない。シャンデリアは床の上。頭上を案じる必要はなさそうだ。

 先行するテオの刃を避けて体勢を崩した者に、ドルクが矢を放ち、ティアが短縮呪のホーリーシンボルを放つ。テオの刃にかかる者はいない。それどころか、短刀を2本操る剣士に手数で押され、テオは致命傷に近い刺し傷を受けてうずくまった。

 血色の指輪を介してテオに治癒呪をかける。階段を駆け上がり、テオを跳び越え、トドメを刺そうとする剣士の刃を手甲で受けた。
「貴様は」
 驚愕する剣士に笑ってみせた。互いに不死なら遠慮する事もない。

 わざと刺させて動きを封じ、下から首を突き折る。鋼の爪かけて階下に投げ落とした。滅ぼす必要はない。しばらく動けなくなれば十分。
「悪い、また助けられたな」
 テオにはあいまいに笑っておいた。

 不死者に対して決定的な力を持つのは、ティアの破邪呪とドルクの銀の矢。大剣も火炎呪も通用しないわけではないが……テオと私は足止めと補助に徹するのが効率の良いやり方か。

 それに猛進するテオのそばにいれば、先に待つ者のことを考えなくてすむ。負けるかもしれない恐れも、勝ってしまった時の事も……

 バックスと戦うことの真の意味と、正面から向き合うのを避けるように、眼前の敵が放つ火炎呪を弾き、巻きつくムチを掴んで引く。スキが多いテオの盾となって斬撃を受け、傷の復元に専念する。

 上から炎のカタマリが滝のように落ちてきた。味方をも巻き込む大掛かりな火炎呪を障壁で弾き、熱気を氷の呪で中和する。
一階の割れた窓から吹き上がる新鮮な風に後押しされるように、
最後の数段を駆け上がった。

 黒い布が垂れた広間には、強烈な血の香りとわずかな腐臭。闇に集う気配のほとんどは不死者だが、弱った生身の人も幾人かいるようだ。

「我が宮廷に自らの意思で参内した常命の者は、お前たちがはじめてだ。だが、まずは樹霊どもとの約束を果たさねばな」

 ひときわ大きな気配は、唯一星空をのぞめる最奥の窓の近く。壇上にしつらえた玉座らしきものに収まった白ヒゲの老人。その手が力強く窓を指した直後、窓外に幾つかの火柱が立ちのぼった。

 耳をろうする大木の軋みと破裂音。声無き悲鳴の合唱は、焼かれ行くドライアドのもの。
「なぜ彼女らを焼く?」
「2度目は許さぬと言うておいたのに、我が城へ再び男を引き込んだ、物覚えの悪いアバズレどもへの仕置きだよ」

 数千年の時を生き延びてきた年長者への畏れや敬意を全く感じない傲慢で乱暴な所業。不死者の長であっても、バックスは紛う事なくテンプルの者のようだ。
 1.塔にかかる月  | 2.緒戦と誤算  | 4.始祖の戦い  | 5.夜明け後の闇  | 6.武勇歌  |ページtop

3.祈り


「すまんな、乾燥倉なんぞで夜をすごさせて」
 太い樫のかんぬきを下ろし、魔よけを施しながらパーシーは小声で謝った。
「皆で決めたオキテじゃないか。仕方ないさ」
 扉の向こうで笑うアースラ・タックは快活だ。

 湿気を入れぬ厚い壁。一晩中たかれる火。たとえ心を操られても、内側からは扉を開けられない乾燥倉は、吸血鬼の口付けを受けて生き残った者の夜の待避所。
 失血で弱った者にとって過ごしやすい寝所とはいえないが……アースラなら大丈夫だろう。

「昔のあんたなら、テオを探しに森へ駆け出してたろうな」
「そりゃいつの話だい? あたしが森で迷子になったのは、ションベンくさい小娘だった頃だよ」
「でも、エルマー・プライアーに恋をしていた」

「恋に憧れるガキだったんだよ。三十も年上の結婚もできない相手に入れあげて。バカだったねぇ。優しいエルマーさんが死にに行くと親に聞いて、どうにか助けたいと夢中でさ……あんたら若衆組には迷惑かけたね」

 深呼吸してから、心を決めた。村人のために出来る事は何でもするのが村長の仕事だ。祖先が残した富も、それで得た知識も、村人のために使わなけりゃ意味がない。

「昔話をしていいか? まだ十二、三だったかな。エルマーおじさん……いや、その頃は二十代の半ばだから、お兄さんか。親がプライアーに頼みこんでくれてな。東大陸への旅に同行させてもらったんだよ」

「うらやましいねえ。二十年早く生まれてたら、あたしもついて行ったのに」
「きっと楽しい旅になったと思うよ。あの頃のプライアーはいつも笑っていた。未来と夢を語ってたよ」
「想像つかないねぇ。あたしはエルマーさんの憂い顔とため息が好きだったから」

「バフルはシルウィアより大きい石とレンガの街でね。けどブドウ畑の中に建ってたお城は、森の城より小さかったかな。それでも、謁見の間なんてトコロに行ったのは初めてだったからね。ガチガチになってたら、プライアーが優しく背中をなでてくれた」

 今でも鮮やかによみがえる思い出。忘れるはずのない光景。
「シリルの茶葉や材木と、サウスカナディ領の穀物。バフル経由で行う交易が産む豊かさについて、プライアーは嬉しそうに報告してたよ。この利発そうな少年が未来の村長だ、どうか引き立ててやってくれと、ふたりの太守に紹介してくれた」

「利発? ちょいとうぬぼれが過ぎやしないかい?」
「私じゃない。プライアーがそう言ったんだよ」
 今朝方、魔法士の姿を見てから、なぜか思い出せなくなった記憶。胸のもやもやが解消したのは昼前だ。薄暗い寝室で眠る銀髪の男。あれを他人の空似と片付けていいものか。

「他のつまらないおっさん連中と違ってプライアーは子供の話もちゃん聞いてくれたねぇ。まぁ、少し夢見がちなところがあったのは確かだよ。体は歳相応でも、心は若いままだったんだろう。噛まれて“代理人”ってヤツになった時、心を持っていかれちまったのさ」

 呼べど応えぬ主への思いを抱えたまま、グリエラスに仕えるようになったプライアーは、シルウィアの事務所を処分してシリルから出なくなった。海を見て里心を呼び覚まされるのを恐れていた。

 そして、森の焼滅と人質の虐殺をほのめかすテンプルの呼び出しに応じたグリエラスに従って、村を出て行った。指定された領境の峠に行ったグリエラスもプライアーも、他の衛士たちも……誰も戻っては来なかった。あれからもう二十年はたつ。

「夜が明けたら、乾燥小屋を出てもらうから」
「……そうかい。けっこう快適で気に入りかけてたのに。仕方ないね。オキテだし」
 アースラの声が甲高い。不安をごまかす虚勢に聞こえた。

「皆の手前、入ってもらったが……本当は何の意味もないのは分かっている」
「……いくらあたしでも、暗いうちに井戸端で洗濯するような度胸はないからね。夜じゃシミが落ちたかどうかも見えないし」

 アースラは服を着て木靴をはいて、洗濯物を握りしめて家の入り口で倒れていた。テオの語った事が本当なら、襲われたのは夜ではない。空を雲がおおわなければ出てこない、森のヤツではありえない。アースラを噛んだのは、晴れた朝に出歩けるほどに歳を重ねた吸血鬼。

「プライアーは言っていたよ。願いは必ず叶う。強い思いは血を介して伝わり、太守の心を変え、世の中を良くしていくと」
「夢見がちなプライアーの言いそうなコトだね」
 人が新しい恋人に入れあげ、好みや生き方を変えるように、吸血鬼も新しいしもべには強く影響されるハズだ。

「願ってみないか? かわいい甥を助けて欲しいと。テオを守ってくれと。生かして返せと。繰り返し強く思えば、叶う」
 アースラの愉快そうな笑い声が扉越しに響いた。
「テオが駆け出していってから、ずっと無事を願ってるよ。本当に願うだけで叶うなら、テオは何があっても無傷で帰って来るさ」

 ブースと名乗る男の頼もしい笑顔を思い出す。昼食を強引にすすめる家主をいなすための、その場しのぎの約束ではないと感じた。豆とキノコのタマゴとじに歓声を上げていた見習い聖女は、ちゃんと話を聞いてたのかどうかも分からないが。

「彼らにテオの事を頼んだ。探して無事に連れ戻して欲しいと。森の加護があるなら、テオを見つけるのは難しくない。ドライアドも彼らには力を貸すはずだ」

「その駄賃が、あたしかい。そりゃ可愛いテオのためなら何でもするさ。けど、むざむざ殺されてやるほど、安い命でもないつもりだよ」
 怒りのこもった低い声だった。

 アースラの夫は、夜明けに表へ出て行った。不死者となったばかりの身を、自ら陽にさらして消滅した。みなに話したあと、アースラは墓ぐらいは作ってやるかと笑っていた。その笑顔の奥に、どれほどの想いが渦巻いていたのだろう。

 胸が詰る。アースラにどれほど酷な事を頼もうとしているか、分からないわけではない。

「グリエラスのように、ひとりに執着して吸い尽くすような事はないと聞いた。だから、アースラが家に居なければ、彼は他の者を襲う」
「防壁になれと言うのかい。いくら年食った未亡人だからって、あたしを丸太の柵あつかいするとは、ひどい村長だね」
 耳が痛い。

「……それで、いい男だったかい? 目の前にいる女の子の想いに気付かないほど、エルマーが入れ込んでたんだ。少なくとも中身は酷くないと思ってるけどさ」
「保証するよ。むしろ容姿だけが取り柄だと陰口を叩かれていたくらいだ」

 赤い光を感じた。振り返ると、森をおおうモヤが赤く輝いていた。夕焼けはとっくにあせ、夜明けにはまだ遠い。それに方角が北だ。

「火事……」
「なんだって?」
「森が燃えている」



 歪んだ赤い唇を包む豊かな白ヒゲと、削いだような頬。森を焼く炎の色に縁取られた偽王。傷だらけの紅玉と金で出来た冠が押しつぶす白髪は薄くまばら。真紅の長衣には金糸の縫い取り……不出来だが竜の刺繍らしい。

 バックスは本当に高位の聖職者だったのだろうか。派手で悪趣味な装いからは、元の姿を想像できない。学問と命がけの奉仕を望んでテンプルの選抜試験に臨んだ、若く情熱にあふれた時が彼にもあったとは。

 赤き偽王の足元にうごめくのは、心を縛られた半裸のしもべ達。滴る血が赤く彩る肌には深さも幅も違う複数の噛み傷。バックスによって転化した闇の公子と公女がつけたもの。そう、少しずつ包囲の輪を縮めてくる牙を剥き出しにした不死者の群れによって。

 いや、違う。
 街道沿いの小さな駅で関わった、ビアトリスにも感じた違和感。シリルの地下室には心を縛られぬ不死者までいた。彼らは闇の子というより、際限なく転化させた中から生き延びるだけの力と忠誠心を持つ者を集めただけの……奴隷以下の存在かも知れない。

 先ほど階段を焼き焦がした広範囲の攻撃呪。幾人かが炎に包まれ、あがき落ちていった。金で売り買いされる身の上の者たちよりも、ぞんざいな扱いだ。

 泥じみた服。墓地から這い出して以来、身なりを気にする余裕も与えられなかったか。傷無き肉体同様、意識さえすれば垢染みもほころびも復元できるだろうに。

 彼らの表情から見て取れるのは、血と破壊がもたらす刹那《せつな》的快楽の期待。意識して破滅を選んでいるわけではあるまい。ただ、始祖の命じるまま流されるままに、ここに在るようだ。

 バックスの視線が外れる。背後に少し遅れて上がってきた、ティアとドルクの気配をアレフは感じた。

「覚えているぞ、治癒のワザよりホーリーシンボルの習得に血道をあげていた出来そこないの聖女。モルの威を借りて余を見下していた小娘か。身の程知らずめ。シロウトを率いて余に挑むか」

「挑む? あんたは単なる予行演習よ」
 本戦はモルか。私という可能性がなくもないが。

「その生意気な小娘は余のものだ。男はお前らにくれてやる」
 あざけり見下す血走った目。雄たけびとも歓喜ともつかない声をあげて、駆け寄る者たちを物理障壁で押し返した。火炎呪は耐火呪で防ぎ、ツブテのたぐいは身を盾にして止める。

 テオは牽制の役には立つが、遅すぎる太刀筋は動かぬ物以外を斬れそうにない。ドルクが射掛ける矢は残り数本。矢筒がカラになれば、あとはティアの力が頼り。

 だがティアの詠唱が終わるまで待っててくれるワケもないか。それに短縮呪では力が足りない。始祖を滅ぼすには……

 不意に湧き上がった吐き気に集中力が乱れる。障壁がゆれ、延びてきた手に腕をつかまれ、投げ飛ばされた。のしかかってくる数人の不死者。ティアの悲鳴。ドルクの咆哮。テオの焦り。

「英雄にあこがれる愚かな剣士よ。人形芝居やテンプルの飾り騎士の大剣が、実戦で使えるなどと、本気で思っていたか。ショートソードとナイフによる素早い攻撃こそ、真のテンプルナイトの戦い方よ」

 剣を掴まれ奪われたテオの驚きと恐怖が指輪を通して伝わる。鎖帷子ごしに殴られ折れる肋骨。息苦しさ。のどに溢れる血。治癒呪をかけても、暴行を受け続けていては立ち上がることも出来ない。

「ほう、獣人がまだ生き残っていたか。だが、速さでも持久力でも不死者には敵うまいに」
 矢を射る間合いを失い、斧を振り回してティアを背にかばっていたドルクが、囲まれ足を踏み折られ膝をつく。

 体術で捕らえようと伸びてくる手を巧みにかわしていたティアも、大勢を相手にたった一人となれば抗いきれない。捕らわれ羽交い絞めにされて、バックスの元へ連れて行かれるのを感じた。

「余は既に百人以上の命を飲み干し、転化させた者は末端まで入れて数万人以上。間もなく世界をも飲み干す偉大なる王を、人の身で倒せると思おたか」
 数万人の命を支える始祖。バックスを滅ぼせば、数万人が共に滅する。吐き気の理由はコレか。

「たった百人? もっと大勢を餌食にしたファラを人は倒してるのよ。アンタ程度の吸血鬼くらい、どうにでもなるわよ」
 負け惜しみではない、おそらくティアは至近で、血を吸われながらホーリーシンボルを放つ気だ。

 だが、致命傷を受ける可能性も高い。無事ですむハズがない。

 主の食事に合わせて、噛みつく瞬間を妄想しながら、笑っている不死者たち。押さえ込んでいる冷たく堅い手首や肌に、首をかしげる者たちを見上げた。

 この者たちも、バックスと共に滅ぶ。あの日のネリィのように、不死の源泉を失った者は、融け崩れ灰と化す。その灰も夜明けには分解して二度と復活しない。

 たとえ実体のない……既に死んだ姿に宿ったかりそめの命であろうと、作られた闇の命であろうと、かけがえのない命には変わり無い。今、存在する者が、この先も存在し続けようとあがくのは、自然なことだ。彼らの未来を断ち切る資格は誰にもない。ほとんどが被害者。望んで不死者になった者たちではない。

 だが、それでも……どれほど罪深く許されざる事であろうとも。
 結論は既に出ていた。
 1.塔にかかる月  | 2.緒戦と誤算  | 3.祈り | 5.夜明け後の闇  | 6.武勇歌 |ページtop

4.始祖の戦い


 アレフは八羽の見えざる使い魔への指示を変えた。不完全な実体から虚に状態を移し、壁を透過させて広間の下、一階の階段ホールに集める。夜目の効かない二人につけていた使い魔も引き剥がし、床を抜けさせた。

(何すンのよ)
 突然、視界を裸眼に限定されたティアが、尖った心話を送ってくる。手足を押さえ込んでいる青ざめた顔の向こう、火事の光が揺れるアーチと寄木細工の天井を、ティアの心に送り返した。
(今なら使い魔の助けがなくとも、広間を見渡せる)

 同時に、ティアの体内に組み上げられてゆく破邪呪の方陣を感じた。なるほど、床に描けば気付かれるが、体内に隠せば発動直前までわからない。だが、土の属性がないぶん威力は弱まる。それに呪を唱えなければホーリーシンボルは発動しないはず。

(使い魔を方陣の交点にする)
 かつて見た光の方陣を、下の階で梁にぶら下がる透明なコウモリを基点に組み上げた。身が内からただれ崩れる痛みを思いだせば、手足から力が抜ける。だが、己を追い詰めなければ、一番大事な決意と覚悟がなえる。

 短縮呪ではない、正式な呪を口にした。
「ほう、在野の魔法士の分際でテンプルの奥義を真似るか。だが、方陣のカケラも浮かばぬようだな」
 バックスの油断しきった声に成功を確信した。

(バカ、不死者がホーリーシンボル使って無事に済むと)
 思ってない。他の攻撃呪には反動から術者を守る障壁がある。だが、生者には害がない破邪呪に障壁などない。全ての精神力を術式に込めるからこそ、全てを貫く最強の力を発揮する。世界を変えた光の呪法。死人が使えば本来ひとたまりもない。

 それでも……
 私とテオの役割は、身をていして真の破邪呪の使い手であるティアと、銀の矢を持つドルクを守る事。

「きさま、一階の天井に方陣を」
 階下で倒れ伏すしもべから報告がきたようだが、遅い。
「そやつの息の根を止めろ」
 喉を握りつぶし胸を貫こうと一瞬ゆるんだ数本の手から、全力で逃れた。骨が折れ、肩と股関節がありえぬ角度に曲がる。激痛に耐える悲鳴の代わりに空中で呪を叫ぶ。

 壊れた人形のように床に落下すると同時に、広間の大半を包む光の噴出が始まった。方陣の基点となった使い魔たちが……分かたれた精神体の一部が、光の中で消失していく。同時に身のうちに存在そのものを解き崩す灼熱を感じた。

 バックスとしもべ達の悲鳴。約半数が灰と化し、残る者たちも倒れ伏す。だが、この程度で始祖は滅ぼせない。人から得た血潮以外に力の源泉をもたない不死者が、一度に放てる呪力などタカが知れている。もう光は薄れ始めている。第一、私自身がまだ意識を保っている。

「よくも、この死にぞこないが」
 バックスも滅びそこなったか。玉座にすがり、立ち上がろうとしている。すぐそばで気配を殺しているティアを無視して、私にトドメをさそうと足を引きずり近づいてくる。

 とどめは灰すら残さず全てを消滅させるティアのホーリーシンボル。準備が完了したティアのポケットに、地の呪を封じた水晶玉を移送した。己自身とテオとドルクの治癒が続く中での、実体を持つ物体の移送。力を使いすぎた。気が遠くなる。

 薄れる視界に、バックスの背後に迫るティアの姿が映る。トドメを刺そうとかがみ込む白ヒゲに覆われた首に、灰色の法服をまとった腕が巻きつき、締め上げ、呪を叫ぶ声が耳に刺さる。
赤い衣装をまとった胸に輪状の眩しい光が湧き出した。

 悲鳴とあがき。ティアが振り飛ばされる。だが、心臓が消滅すれば、たとえ不死の身でもそう長くは動いていられない。再生には……月単位の時間がかかるはず。

 テオの雄たけび。奪われた剣を灰の中からつかみ出し、バックスに向かって振りかぶる。首を落とすか頭を潰せば吸血鬼も倒せると言っていた。これで……

「余を舐めるな、若造!」

 大剣が老人のしわぶかい左手に掴み止められていた。振り下ろそうと両腕の筋肉を盛り上げるテオの額に脂汗がにじむ。

 ありえない。あの深手からもう再生したというのか。私はまだ立つことも出来ないというのに。どこからあの再生力が湧いてくるのだ。

 テオが片手で投げ飛ばされ、壁に叩きつけられる。気が遠くなりそうな頭の痛み。肋骨が折れ息がつまる。己がキズ以上に、きつい。

(あの者、自らの闇の子を食っています)
 ドルクの嫌悪感に満ちた心話。言われて階下やまわりにいた他の不死者の数が、大幅に減っているのに気付いた。魔力を断って……いや、引き戻したのか。気配を感じるのは傷が浅かった二人だけ。他の深手を負った者たちは再生も叶わず灰と化していた。

「なんで、そんな事ができる。心を通じ合える闇の子を、蘇らせた命を、始祖が己の回復のために消滅させるなど」
「妙なことを言うものだな、魔法士に身をやつした司祭よ。このもの共は余がよみがえらせたしもべ。いざとなれば、与えた命を賭して余を守るが役目よ。お前もその列に加えてやろう」

 胸倉を掴まれた。しもべに変えるための視線の魔力。渇きを満たそうと剥き出しになった牙。黒く穴が開き抜け欠けた老人らしい歯列の中で、犬歯だけが若く無傷なのがこっけいだった。

 さて、始祖が別の始祖に噛まれるとどうなるのだろう。異なる血族の血が毒だという俗説が真実か否か、試してみたい気もするが……互いに何の益もなく終わるのがオチだろう。
「残念だが、お前のしもべにはなれない」

 やっと肩が戻り、股関節が回復した。
「貴様……」

 呪もなく復元していく体をまのあたりにして、やっと何者を相手にしているのか気付いたらしい。

「眠り姫か」
「その名を男に与えるテンプル流の冗談が、どうにも理解できない。分かりやすく解説してもらいたいところだ」

 全身に衝撃が走り、視界が暗くなる。意識できたのは頭と背中の痛み。すさまじい勢いで床に叩きつけられたようだ。
「余は、わたしは、貴様の代わりに、このような呪われた身にされたのだ。貴様さえ、貴様さえ」

 ほほ骨が陥没し、喉にコブシが埋まるのを感じた。首の骨がきしむ。だが、力まかせに殴るバックスも無事では済むまい。突き刺さるのは折れて飛び出た手の骨ではないだろうか。

 このままでは再生が追いつかず、バラバラに引きちぎられるかも知れない。

 テオの傷も深い。振り飛ばされたとき頭を強くぶつけたらしい。耳に響く水音は脳内に吹き出す血か。
 ティアも骨を何本か折っている。あれほどの痛みで気絶しないのは、憎しみなのか執着心なのか。

「アレフ様から離れなさい!」
 ドルクの射た矢が、眼前で掴まれる。
「ほう、銀の矢じりか」

 鼻を鋭い痛みが刺した。高笑いとともに顔に、癒えぬ痛みが増えていく。止めようとオノを手に突っ込んできたドルクが、殴り飛ばされるのを感じた。

 このままでは……私は滅ぶ。

 だが、バックスが背負う数万の命に比べれば、私が支えているのはドルクのみ。弱く小さな者が、強く大きな者の為に犠牲となる。それが世界の決め事なら、結果を静かに受け入れるべきなのだろう。

 とおに視界は闇に閉ざされ、痛みもほとんど感じない。殴り刺し続けているバックスの高笑いも、遠くかすかだ。ふと、アレフは星空にかこまれているのに気付いた。見知らぬ配置の星々はまばらで、星雲からはぐれたように寂しい。

 血が止まりかけた脳が見せる幻覚にしては味気ない。別に花園や明るい浜辺、光の通り道といった生身の者達が最期に見る美しい光景を期待していたわけではないが……いや、違う。脈がなく窒息とも無縁な死人の脳が幻覚など紡ぐはずがない。

(再びしもべを見捨て死の眠りに逃げるおつもりですか!)
 赤い星が叫ぶ。
(イヴリン?)
 意識したとたん、指が白くなるほどに水晶球を握りしめた、海老茶色のドレスの婦人が、眉を逆立てている光景が浮かび上がった。

 これら光のまたたきは、星ではなく人の心?
 事情も知らないまま、胸騒ぎをおぼえ、心話をおくる東大陸の代理人たち。今まで通り過ぎてきた街道にそって輝く者達の、無事を祈る想い。私より甥を案じる者もいるが。

「ヴァンパイアは個人じゃないんだとさ。心を共有する人の集合体。強い魔力を得るための仕掛けだなんて小難しいことばっか言ってたっけ」
「群れて島を作るサンゴじゃあるまいし。ルーシャの説が正しいなら、あたしも島を作る砂の一粒ってわけ」
 これは誰の意識だ? 正気を取り戻したダイアナか。

(人の命を数で考えるなど無神経の極みですが……数十万、いえ百万以上の民に対する責任の一端はまだお持ちのはず。彼らを中央大陸の様な混乱の中に置いて逝くおつもりですか)

 焼け落ちる街。生きながら火に焼かれる老人や病人の悲鳴。暴行される女。家畜のように売り買いされる子供。人が人に狩られ奪われるのを防ぐために、めぐらされた強固な壁。

(私たちは弱い。たった十数名のテンプルの者を止められず、主城を落とされ同僚を殺され、王が滅ぼされるのを見ているしかないほどに。そんな弱い私たちを見捨ててゆかれるか)

 弱いというなら私も弱い。テンプル流の格闘術を習ったところで、付け焼刃にすぎない。見よう見まねの攻撃呪も一度に行使できる力が限られていては……私にはこれが精一杯だ。

(同じ事をなさればいい。バックスと同じ事を。いえ、ダイアナとかいうテンプルの女にした事を。しもべから力を集めれば、瀕死の者を死のふちから呼び戻し、山をも動かせるはず。それに、私たちは滅びません。生身ですから)

 その力でバックスを滅ぼせというのか。
 キニルで会ったシャルが共に滅ぶのは、いい気味と思わなくもない。だが光点の中に別の不死者……ビアトリスの気配は無い。彼女はイモータルリングをつけなかったのか。代わりに夫の気配を感じた。お守りだという口上を信じて妻が渡した指輪を、大切にはめたケリーは生身のまま。

 ここで、呪いを、悲劇の拡大を止める。
 ケリーを、まだ転化していない森の大陸の者たちを守る、唯一の選択。

 それが数万の人を殺す事だと。モルの、そしてテンプルの蛮行と同じなのだと承知している。私が40年前に受けた深い心の傷を大勢に与えるのだと、残された者達から正気を奪いかねないと、分かった上で……
 始祖を、バックスを滅ぼす。

 破壊のために、大量に人を殺す力を得るために、光点に触れ、助けを乞う。心を繋ぎ、幾つもの魂の根源から力を引き出す。渦となって集まる魔力が身の内にあふれた。

 体が復元する感覚。これは……ティアの治癒呪。分けた力を仲間の回復に回したのか。
 目を開くと、悪態をつくバックスの顔があった。刺された頬が銀の矢じりを抜かれると同時に、きれいに治癒するのがわかった。

「刺しても殴ってもすぐに元通りでは、何をしても空しいか。だが、これが始祖同士の戦いというものらしい」
 風を呼び、バックスを弾き飛ばした。

 互いに不死では、刺そうが潰そうが焼こうが、全てがムダ。それでも、ティアやドルク、そしてテオから目をそらすために、バックスに挑む。

 手甲で打ち、蹴り上げる。生身の者より強靭な肉がつぶれ、骨が砕ける。だが、すぐに復元する。床に倒れ伏しても、即座に起き上がり、足を払いあう。

 幸いなことに、バックスの拳術の腕前は、私よりすこし上手い程度。互いに捨て身でやりあうなら、余分な肉がついてない分、早く動ける私の方に分がある。拳の威力や蹴りの重さは、すぐに治癒するなら、関係ない。

 バックスに加勢しようとする気配を、ドルクとテオが切り伏せるのを感じた。一定以上の傷を受けると、バックスのしもべ達は力を始祖に奪われ灰化する。これで4対2……すぐに4対1となった。瀕死のしもべの心臓を、ティアがスタッフで打ち抜いた。

「戦いながら幼児のごくと泣くか、惰弱《だじゃく》者め」
「お前のための涙じゃない」
 お前が転化させた者たちへの血の涙。滅びの周囲に広がる悲しみと怒り。そして安堵してしまう後悔に傷つく者達への涙。殺す者の偽善だと、奪う者の傲慢だと、非難されてもかまわない。

 ドルクの斧がバックスの右脇に食い込む。
 テオの大剣が左脇腹からバックスの胸部をつぶす。抜かなければ、異物が体内にあるかぎり、治癒は起きない。そして足元に浮かび上がる鮮やかな光の方陣。

 動揺したバックスの首を、手甲の爪で刺しつらぬいた。
「アレフ、離れて!」
 ティアの警告に従って、手甲の留め金とベルトを断ち、金属の異物をバックスの首に残したまま、高く跳び離れた。天井すれすれで身を反転させた時、眼下に光に包まれ消滅していく赤い姿が見えた。左右には逃すまいと刃を打ち込んだままのテオとドルク。

 断末魔の叫びの残響に、共に消滅していく多くの命が重なる。灰も残さず消える始祖。ファラも、父も、こうだったのだろうか。そして、いずれは私も。

 幻聴の様に残る、悲嘆。
 ハラワタをかきまわされ、引きちぎられるような熱い哀しみ。これは眼前で妻に逝かれた駅番のケリー……もうひとりの私の悲しみ。

 事情の説明を、私の居所をふくむ詳しい状況を問う、しもべたちの心話を締め出し、ケリーの悲嘆にのみ意識を傾ける。

 私には十万以上の悲しみを我がことの様に受け止める度量は無い。想像すらできない。理解できるのは個人的な一つの深い悲しみ。犯した大罪の証として、悲しみと憎しみが心を切り裂くままにする。

 世界を変える光をもたらしたと誇らかに胸をはり、君臨するテンプル。編み出した術や己が本拠に、聖《ホーリー》などという美名を被せようと、彼らも大量殺戮者だ。悲しみを増やす者ども。本質的には私やバックスと同じ人殺し。許されざる存在。

 不死者が永らえるために血を啜るように、絶えず死と破壊を求める集団。正義だの英雄だのと世迷いごとを繰り返し、人を幻想でいつわり利益をちらつかせて言いなりにするやり口を含め、どこが違う。

 本当に悲劇を止めたいなら、根本を叩かねばならない。憂いをぬぐうなら、始祖にあたる源を滅ぼさねばならない。

 テンプルの源にあたるものとは何なのか。
 嘆きに追い立てられるように思索を深めていった。
 1.塔にかかる月  | 2.緒戦と誤算  | 3.祈り | 4.始祖の戦い  | 6.武勇歌  |ページtop

5.夜明け後の闇


「明けない、夜はない」
 パーシーは黒茶をすすりながら、次第に収まっていく遠い火事の光を見つめた。夜、ひとりきりの館は広すぎて寂しい。物事を悪い方へと考えてしまう。

 炎は何者かがドライアドと事を構えた証。テオを探しにいった者達だろうか。木に取り込まれそうになった若者を奪還するために火を用いたとも考えられる。だが丸木弓を持つ森が見込んだ勇士が、そんなムチャはするまい。

 城に居ついた白ヒゲの吸血鬼が火を放ったのだとしたら……無秩序で破滅的な悪夢は終わるのかもしれない。ドライアドと組んだ来訪者によって。

 だが、何のためにこの地にきたのだ。
 身分を偽り、海を越えて。

 激しく扉を叩く音に、パーシーはカップを置いた。三重の錠をはずす。錠前やカンヌキは気休めだ。一度招き入れてしまった魔物は、体を霧に変えて締め切った部屋にも入り込むという。グリエラスはそうだった。自身も眷属も、城までもが、忽然と現れては消える。

「妹の声が、みんなの悲鳴が」
 銅で補強した厚い扉の向こうに、教会地下への格子戸を警備をしていたカータスが立っていた。
「世話になったって、ケニスさんの声が。兄ちゃんって妹の声も。静かになって返事もなくて」

 すがって泣く若者の背をパーシーは軽く叩いた。布ヨロイに縫い付けられた鉄片は温かく、あらい呼吸に合わせて指の下で滑る。走ってきたのか。

 角灯に火を移し、カギを手に教会地下へ急いだ。錠前をあけ、恐る恐る地下へ下りる。格子の向こうは無人だった。細かな灰が、光の中でゆるやかに舞っていた。

 夜が深くなる刻限。星と月は霧にかすみ、慣れた道でなければカータスも走れなかったろう。それでも明けない夜はない。空はいずれ、透明で深い青色になる。灰色の霧はやがて真っ白に輝き出すだろう。

 しかし夜明けをもたらしたのはテンプルではない。

 カータスの次男坊にボダイジュの葉を混ぜた茶を飲ませた。朝まで眠れと送り出したあと、薄い二煎目を味わいながら、理由を考えた。

 あの銀髪の魔法士は、秩序と安定を至上とするファラの弟子だ。

 かつては理由もなくヴァンパイアを増やすのは禁忌だった。始祖ひとりに数人の公子たち……数千年間、増減はほとんど無かったと聞く。この地に広がった収拾のつかない混沌は、もっとも忌避されるもの。

 禁忌を犯した者を排除し、混乱を収拾するために出向いてきた……と考えるのは、さすがに善意に解釈しすぎか。

 テンプルがそうだったように、茶葉やコカラ豆、良質の材木といったこの地が産む富を欲しての事と考える方がまだ納得がいく。特に黒茶は万能薬のように扱われていると聞く。

 剣や弓の数より火炎呪の使い手の数がモノを言う中央大陸では、魔力を一時的に回復させる手段として、茶葉は高値で取り引きされているらしい。

 物だけならいい。人も連れ去るかもしれない。移民に偽装した食用の人間も、重要な交易品だったはず。自領の民には禁欲的な慈悲深い領主の顔を見せ、裏で遺族への配慮や対価を気にせずに貪れる贄を密かに確保するために。

 いや、この地を属領にしたいのなら、あの少人数はありえないか。偽名をつかい漂泊の民に身をやつし、泥棒猫のようにアースラを噛んだ。
 逃げて……いるのか。

 ロバート・ウェゲナーは滅ぼされた。テンプルが差し向ける討伐隊を迎え撃つことがムリなら、逃げるしかない。避難して来たのだろうか。

 ドライアドに守られたウッドランド城へは、歩いてはたどりつけない。いまだテンプルの者の侵入を許していない安全な場所。そう思って隠れ家にするために。

 先住者を排除してくれたのはありがたいが……魔除けが効かず、日のあるうちも油断できない吸血鬼が代わりに居座るのでは、かえって状況が悪くなった気がする。

 グリエラスのように、これと決めた贄をすすり尽すまで他の者に手を出さないというのなら、少しは息がつける。アースラが生きているかぎり、他の者は安全だ。

 だがエルマーはアレフ様は殺さないと言っていた。長く生かしておくために、大勢から少しずつ飲むと。移り気な吸血鬼などハタ迷惑だと思ったが、口には出せなかった。

 いずれ、どこかへ立ち去ってくれるだろうか。モル司祭が来るまでの辛抱《しんぼう》。
 だが、吸血鬼は退治されたとテンプルが思い込み、討伐隊が来なかったら……始末におえない闇をいただく事になる。


 朝の光の下で、村は突然の開放に戸惑っていた。祝宴を開いては、という場違いな提案は、肉親が滅びた者たちの視線にあって消えた。

 遅い午前、教会地下に遺された衣類や手回り品の整理をしていた時、テオが無事に戻ったと触れ回る声が聞こえた。上がると門が開放され、人々に囲まれたテオは得意気に武勇伝を語っていた。横にいるテンプルの見習いの娘の表情を見るかぎり、かなり誇張がありそうだ。

 さらわれ、宴にはべらされる順番を牢獄で待っていた者達が六人、呆然と立っていた。その手当てと、落ち着き先を決めながら、丸木弓のヒゲの男と黒衣の魔法士を探した。

 やはり戻らなかったか。

 安堵しかけた時、騒ぎから離れた森のほとり、暗いクヌギの下に佇む黒い姿を見つけてしまった。フード越しにテオと娘を見守る青白い顔が、こちらにむく。

 目が合えば声をかけないわけにもいかない。だが、なぜ戻ってきた。気付かれていると薄々わかっているハズ。我が家は昼を過ごすのに、安全な寝所とはいえない。

 皆の注意を引かないように気をつけながら歩み寄った。
「夜通し大変でしたでしょう。休んでいって下さい」
「ありがとうございます。若いもんと違ってさすがに徹夜は応えます」
 ヒゲ男のダーモッドという名も、偽名だろうか。

 アニーの心づくしの昼食を青白い魔法士は予想通り断わって寝室に引き取ってしまった。アニーの機嫌を治すため、可哀想にダーモッドは二人分食べていた。

 昼過ぎ、しゃべりつかれたテオと、小さな顔を不機嫌にゆがめた娘が報告を兼ねて昼飯を食いにきた。同じ話を繰り返すのはうんざりと、簡潔に話して食べ終えると、ベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。

 パーシーも椅子に座ってしばらくまどろむ。
 陽光が斜めに傾く頃、目をあけると足音を忍ばせて出ていく灰色の法服が見えた。そのままま夢に落ちかけ……目が覚めた。

 客室をのぞくと黒い魔法士とヒゲの男も消えていた。荷物はそのまま。戻ってくる気はあるらしい。

 どこへ行ったかは予想がつく。アースラの気丈な笑顔が浮かぶ。昨夜の騒動で渇き切っているなら、口封じも兼ねて飲み尽くしてしまうかも知れない。

 椅子で眠ったせいで強ばった体を、力いっぱい伸ばす。じっとしていられず、外へ出た。アニーが井戸端でノンキに話し込んでいる。吸血鬼が今うろついているというのに。

 皆に警告するべきか。見てみぬふりをした方がいいのか。

 顔を上げると、馬溜まりの積み草にティアとかいう見習いの娘が座っていた。手招きしている。小道の向こうにはテオの家と並ぶアースラの家。考えている間に、勝手に足が向いてしまったらしい。

 立ち止まったまま、異変はないかと注視するのもはばかられる。

 娘の笑顔に誘われるように、青臭い小山に腰を落とした。
「いい天気よね」
 娘の視線に導かれて見上げると、すばらしい青空だった。風が気持ち良い。

「パーシーさんは、お散歩?」
「ああ、君は?」
 問い返して、しまったと思った。
 娘が笑う。
「見張り」
 さらりとした答えだった。思わず小さな横顔を見つめた。ティアは空を眺めたまま、唐突に生い立ちを口にした。
「あたしね、クインポートの代理人の娘なんだ」



「やっぱり、消えてないねぇ」

 アースラは窓辺でため息をついた。まだ若かった頃、夫がシルウィアで買い求めた高価なガラスの手鏡を、のぞき込む。
 しのび寄る老いが刻みつけた細い横ジワも哀しいが、頚動脈にそって並んだふたつの赤い痕に気がふさぐ。

 教会の地下にいたみんなは滅び、夜明けには灰すらきれいに消えたらしい。でも、あたしの首筋には呪いの印が残っている。
 パーシーの言うとおり、あたしを襲ったのは森の吸血鬼じゃないらしい。

 英雄気取りで浮かれている甥に、どうごまかしたものか。数日間なら最後に噛まれたからと言い訳できる。でも、その後は?

 暮れの光が混ざる空を見上げた時、背後から抱きすくめられた。冷たい手が口をふさぐ。

 手鏡に目を落とした。白い手も上等な黒服に包まれた腕も、目には見えても鏡には映ってない。変にゆがんだ唇と妙なシワが寄った服だけを映していた鏡が、手から落ちて欠けた。

 台所へ、暗がりへと引きずられてゆく間、歯を食いしばって蹴りたいのをこらえた。首を力づくで傾けられた。よほど顔を見られたくないらしい。減るもんでもあるまいに。ケチくさい。

 わずかに目に入るのは上等のリネンみたいな細くて白い髪。見舞いに来たオリン婆さんが話してた。干し魚を運んできた占い師が変な髪の色をしてたと。さらしたリネンのような色だったと。

 喉の傷を探るおぞましい唇。ついうめき声がもれる。夢見心地にさせる術をかける手間も惜しむのかい。若い娘ならともかく、中年に偽りの恋を仕掛ける気にはならないと?

 一度ふさがった傷を開かれる痛みに身をよじったが、頭をつかむ手と胸を巻く腕はビクともしない。鉄の腕《かいな》とはよく言ったもんだ。

 熱い出血を首筋に感じた。啜りとる音と、一滴もこぼすまいとうごめく舌と唇の冷やりとした感触。人に化けたヤマビルにはり付かれているみたいだ。

(……なぜ、前の様にあらがわない?)
 心の中に聞き覚えのない男の声が湧いた。血の味に溺れそうになるのを抑え、ワナに怯えて、あたりの気配を探っている。戸惑いも不安も、あたしのモンじゃない。

(忠告どおり別の者にすれば良かったのか)
 夜だってのにはっきり見える立派な広間。大きなガラス窓。小娘が灰色のそでを振って示す先に、血でまだらに染まった肌もあらわな男や女。死体に見える。だけどまだ息がある者がいるらしい。

 同情も欲もなく、ただ目に映る光景。あたしが夫の灰を見つめていた時のようだ。雑巾のように疲れてすり切れた気持ちが、娘の笑い声に引っかき回される。
「失血死させちゃっても、バックスが殺ったことに出来るよ?」
 驚きと腹立たしさと愛おしみ。小娘への複雑な思いが静まらないまま、夜明けの来る方へ、放置された温室へ逃れて回想が終わった。

(ワナならワナでもいい)
 光の中で消滅する身体。最悪の明日を思い描き、血を啜るのをやめて、治癒呪をつぶやく。染み出した数滴を舐めとりながら、自らをあざ笑う魔物を首筋に感じた。

 まったく、その辺のバカな男共とおンなじだ。てめーだけが苦労を背負い込んでいるような気になって。カッコつけるわりに、意気地なしで。

(ワナなん卑怯なマネ、誰がするかね)
 心話ってのは、これで良いのかね。エルマーさんの声は、耳に心地よかったけど、話は抽象的で分かりにくかった。小難しい夢みたいなことばかり言ってた。

(口付けを受けたら、おとなしく次の訪れを待つ。他の者に迷惑かけないようにするのが、昔からのオキテだよ)
 胸を締め上げ口を押さえていた硬い手がゆるむ。覚悟したフリをして、手を離したら悲鳴を上げるのではないかと恐れながら、少し手が下がる。

 そのまましばらく様子を見ているような静けさが続いた。
 不意に解放されたアースラは、支えをうしなってよろめき、テーブルに手をついた。

「乱暴して、すまなかった」
 違和感をおぼえる感情や思考が心の中から消えてく。反省と敗北感を最後に、心も解き放たれた。

 振り向くと白い男が立っていた。幽霊みたいに薄くて細い。こいつがエルマーの片恋の相手。あたしの初恋を邪魔した恋敵かい。死人らしく生気も覇気も感じない。そのまま影に解けて消えそうだ。

「もう、いいのかい」
 力なく伏せられる目。
「……ありがとうね」
「礼を言われる理由がない」
「あたしの夫のカタキを取ってくれたんだろう」

「私はあなたの甥を巻き込んだ」
「守って、くれたんだろ?」
「そもそも、私があなたを噛まなければテオは危険を犯さなかった」

「あたしらを助けてくれたんだろ、悪い吸血鬼から」
「不死者となった者達を数万人、消滅させた。それに何をもって悪と分類するのか、私にはわからない」

「でも、呪われた身から救ってくれたんだろ」
「私も、呪われた身か?」
 何なんだい、このグジグジと湿っぽく笑うヒネクレ者は。

「グリエラス様に噛まれた娘は、子供心にも幸せそうにみえたよ。だけど、あいつらに噛まれたモンはみんな、辛そうで苦しそうで。あたしの夫なんざ見ていられなかった……楽にしてくれたんだよね」

 あたしを噛むまいと、閉じこもった寝室で壁を引っかき、腕を食い裂き、朝日の中にとび出してったバカの背中が頭をよぎった。涙がこぼれないよう目をそらした直後、肩を掴まれた。

「不幸なら死んでいいのか、殺していいのか。幸せだけが命の価値なのか。誰かのために今日を生きねばならぬ者がいたはずだ。どんな状態であっても今日も生きたいと願った者がいたはずだ。なのに、私が……」

 痛みの中で、目の色も薄いと変なところに感心していた。間近で見る怒った顔がキレイに思えるのは、いまさら瞳の魔力にかかったってコトなのかね。

「すまない、八つ当たりだ」
 肩から手が離れた。白い頭と顔の上半分を黒いフードで隠して、足音もなく狭い家を出て行く、黒い後姿を見送った。

 もう来ない気がした。
 ほっとしていいのに、少し寂しい。噛まなかった夫を、噛んだあいつに重ねていたんだろうか。浮ついた気分が不思議だった。



 陽を吸い込んだ半乾きの積み草は柔らかいが不安定だ。パーシーは落ち着かない気分のまま、ティアの話を聞いていた。

「子供の頃、親父を喜ばせたくて、上がるなって言われてた二階に行こうとして、ブン殴られた。
お手伝いしようとしただけなのに。手加減まったくナシ。ホウキ持ったまま階段を転がり落ちた」

 ティアが金茶色の髪の毛を分けて、頭を傾ける。
「ココにまだキズが残ってる。2階は親父にとって特別な場所。大事なご主人様の部屋があったから。親父は実の娘より、アレフの方が大切なんだって思い知って……悔しくて泣いて恨んだ」

 ティアが見つめる先に、丸く刈り込んだ茶樹とタックの家がある。中で行われている事を思うとパーシーも厳しい目を向けたくなる。

「親父の大切なアレフを滅ぼしてやりたくて、家を飛び出してテンプルまでいった。副司教長さんに直談判して選抜試験受けた。嫉妬ってスゴいよね、一発で受かっちゃった」
 ため息をついた唇が皮肉そうに歪む。

「親父を独り占めしたかったんだと思う。妹か弟がいたら、きっとイジワルなお姉ちゃんになってたな」
 キッカケはともかく、アレフに強い感情を抱いたティアは、正しく代理人の娘なのだろう。

「モル司祭が東大陸のヴァンパイアを滅ぼしに行くって聞いたとき、志願したの。嫌われてたけどダメもとで。そしたら連れてってくれた。でも船でクインポートについたとき……」
 ティアの声が低い。

「モル司祭が町のみんなを焚きつけて父さんを嬲り殺しにした。止めようとした私もヴァンパイアの手先だって決めつけて縛って閉じ込めて処刑しとけって……今から思うとそれが狙いだったのかな。メンター先生から弟子を引き離して始末したかったんだよね」
 派閥争いか。大きな組織は厄介で怖い。

「モルはバフルのヴァンパイアを滅ぼした。そして、あたしが滅ぼすハズだったアレフの城に向かう直前に……幸いというか不幸っていうか、この村の騒ぎがモルをホーリーテンプルに呼び戻したけど」
 作為を感じないでもないが、問いただしても答えないだろう。

「偶然難を逃れた、悪運だけ、が強いアレフが、忠誠を尽くしてくれた代理人の娘っていう理由で、あたしを助けてくれた」
 テンプルの聖女と吸血鬼が一緒にいる理由はわかった。それにしても明け透けな娘だ。

「一応、命の恩人だし。命には命で返さなきゃって思って、護衛としてついてく事にしたんだけど。もう信じらンない世間知らずなのよ。コブシの握り方もケンカの駆引きも知らないなんて、ワケわかんない」
 突き出した愛らしいコブシには、不似合いなタコがある。

「あれで何百年も生きてきたなんて奇跡よね。試しに素手で手合わせしたら、勝てちゃったし。こんな奴を滅ぼすために全てをかけて修業してたのかと思うと、何かバカらしくなった」
 向けてきた笑顔は、母親の様に温かく見えた。

「でも無能じゃないよ。長生きしてるぶん物知りだから。魔法のこと質問してあげると答えてくれるし。それも楽しそうに。
それで、ラスティルって聖女が考え出した、ヴァンパイアの血を触媒に使う解呪が可能かどうか聞いたら、色々教えてくれた。だから、解呪は出来るよ」

「アースラは助かると?」
「今すぐはムリ。でも数ヵ月後には多分。あのバカがモルに滅ぼされちゃったら、何もしなくても解けちゃうけど」
 今なら、聞きたい事をある程度、答えてくれそうだ

「逃げて、いるのか」
「追ってるのよ。カタキ討とうと思って……追い抜いちゃったけど」
「だが、シリルの吸血鬼が退治されたと知ったら、もうココへは」
 この村と森を争いの場にはされたくない。昨夜、森が受けた痛手の全容もまだ分からないというのに。

「来ないよねぇ、やっぱ。それに森の城にいるとドンドン落ち込んでオカシくなってく。温室でぼんやり朝まで立ってるし、変な形の実を握りしめて、青い指輪をイチジクにもらったとか言い出すし」
 青い指輪……グリエラスが闇の女王から拝領したとかいうアースリングだろうか。

「灰の中から見つけたカギをテオに渡して、捕まってる人を救助させてるスキに、“食事”していいよ、今だけ目をつぶるからって言ってあげたのに……残飯あさりは嫌だ、なんてワガママぬかすし。どうしてもシリルへ戻るってきかないし」

「彼はアースラに執着しているのか」
「呪いを広げたくないからだって。近づく者がいたら引き止めてくれって頼まれたから、こうしてお話してるけど……正体バラすなとは言われてないんだよねぇ」
 意地悪そうな視線の先に、タックの家から出てくる黒い姿と、慌てたように駆け寄るヒゲの男が見えた。

「それにパーシーさん、最初から分かってたでしょ」
「若い頃、会ったことがあるからね。私のほうは歳をとって、すっかり面変わりしてしまったが」
「どうする? 自警団の人たち呼んで、とっちめる?」
 パーシーはだまって首を横に振った。

 ティアが立ち上がり、軽く草の切れ端をはらう。一緒に立ち上がり、駆け寄っていく灰色の背をゆっくりと追った。

 歩いてくる三人を改めて見て、ティアの存在が抜きん出ているのを強く感じた。昨日はティアを目くらましだと思っていた。吸血鬼の魔力に捕らわれた哀れな娘だと。だが、間違いだ。魅きつけられとりこにされたのは、娘を見守る黒衣の魔物のほう。

 記憶の底から子供の頃聞いた話が浮かんできた。そして失われかけた夢。
「明けない夜はない」
 背筋を伸ばす。向こうが一介の旅人に徹するなら、無意味に恐れる必要はない。

「これはパーシーさん、お散歩ですか」
 ヒゲのダーモッドが当り障りのない笑みを浮かべて先に声をかけてくる。世慣れ交渉に長けた大人の態度。彼が交渉役を引き受けているのは察していた。ティアは率直すぎる。そして彼女の評価が正しいならアレフはとんでもなく世間知らずだ。

「いえ、あなた方を探していたんです。折り入って頼みたい事がありましてね」
 こちらとしてもやりやすい。
「……わたくし共でお役に立てる事なら」
 ヒゲ男の声には警戒した響きがにじんでいた。

「シルウィアからバフル行きの定期船が出ていた頃は、シリルにも人がたくさん出入りしてました。宿屋も繁盛してた。あの頃の賑わいを取り戻したい。いや、出来れば昔以上に」
 ヒゲ男の目をまっすぐ覗き込む。

「旅慣れているあなた方に、バフルにいってもらって、教会に逆らって貿易を再開する意志があるかどうか聞いてきてほしいんですよ」
 一瞬固まったヒゲ男の視線が落ち着かなく動く。
「確かバフルを治めていたご城主は……」
「滅ぼされたそうで。交渉するなら息子さんとなりますか」

 目の隅に声を殺して笑っているティアが見える。アレフは超然と見守っている。少し見直した。まさか状況が分かってない訳ではあるまい。

「一介の旅人に会ってくれますかね」
 トボけると決めたらしい。
「必ず……、と思いますよ。信頼できる筋から人となりは聞かせてもらいましたから」
 ティアをちらりと見たヒゲ男が大きくため息をつく。

「どうしましょうか?」
 覚悟を決めたようにヒゲ男が黒衣の青年を見る。
「お引き受けしましょう。多分この村の黒茶には興味を持たれると思いますよ」
 落ち着いた声と微笑。一介の旅人としての物言いに徹している。

「ありがとうございます。
ところでアースリングとルナリング、昔、闇の女王が二つの大陸の融和を願って下賜したといわれる賢者の石。元は一つの石だとか」
 青年が握りしめた指には、黄色い石がはまった古い指輪。
「森のご領主が言っておられました。『ふたつの石はどんな結界をも超えて引き合う』……お役にたちますか?」

 座して滅ぼされるより、仇討ちを……ささやかでも反撃を選ぶなら、いずれ結界を越えてホーリーテンプルへいく時も来るだろう。
 早いほうがいい。
 魔物は時がたつほど力を増す。利息で増える借財のように。
 1.塔にかかる月  | 2.緒戦と誤算  | 3.祈り | 4.始祖の戦い  | 5.夜明け後の闇  |ページtop

6.武勇歌


「こんな感じでしょうか」
 歌い終えた見習い聖女の頬は赤らみ、こげ茶の目はうるんでいる。カン違いしないようにモリスは気を引き締めた。この娘が心動かされているのはオレじゃない。歌に興奮してるだけだ。

「聖堂に響く荘厳な和音になりたいと願ってきたけど……こういう歌もあるんですね。単純なのに力が湧きます」
「はやり歌さ。ただの」

 返された紙片には、数行の文字列。ウェンズミートからの速文に書かれていた意味をなさない文字と数字。だが音楽を学んだ者は音を読み取り、心をとりこにする旋律を蘇らせる。書き添えられた詞《ことば》は子供にも分かるやさしさ。

 森のおく 五つの塔の 闇の城
 見上げるは 金の聖女と 村の若人
 月の下を 炎を巻いて 走り行く
 真っ赤な悪夢 終わらせるため

「モリス様、お上手です」
「おめぇさんは、若いのに世辞が上手いねぇ」
 音符は読めないが、聞いて覚えるくらい誰だってできる。

 それにしても耳につく歌だ。子供に鉱夫に野菜売り、酒場だけでなく道や仕事場で、ふと気がつくと誰かが口ずさみ、いつの間にか合唱になっているという報告も、大げさではないかもしれない。

「5番まで旋律は繰り返しです。この音階、夜明け前の古い資料にあった楽譜に似てますね」
 そのへんは専門家にしか分からない領域だ。

「これ、手間賃な」
 厨房で調達した、蜜で練った炒り麦の菓子を渡すと、聖堂付きの見習い娘は歓声を上げて、駆け出した。あの歌を口ずさみながら。稽古場のスミで様子を見ている仲間の下へ。

 キバ光る 死人の群れに いどむ4名
 若人が 剣で道を 切り開き
 狩人が 雨と降らせる 銀の矢は
 魔法士が呼ぶ、風に乗って飛ぶ

 モリスも歌いながら庭を突っ切り階段を駆け上がる。心なしか足取りが軽い。ホーリーテンプルの白い建物群が眼下に広がる。今日も良い天気だ。昼には鮮やかな光彩が見られそうだ。

 白きヒゲ 紅い衣の 吸血鬼
 剣と火を はじく邪悪は 手ごわいが
 命かけ 金の聖女は 跳びかかる
 捨て身で放つ、光の御ワザ

 警護の騎士に目礼し、控え室のミュールに笑みかけ、副司教長室に入る。カーテンをなびかせ書類棚をなでる風は、まだ朝の香りを残していた。
「力強いが物悲しい武勇歌だね」
「おっと、お耳汚しを」
 ハト小屋から回収した速文をメンターに渡した。

「最後は村に平安をもたらした聖女と村の剣士の愁嘆場」
 他人の色恋沙汰と失恋は、ヤジウマ連中の大好物だ。

「教会が文字を人に広める前。吟遊詩人の素朴な歌声が、過去と他所の出来事を知る唯一の手段だった時代の旋律だね。流行りそうかね」
「禁じるかい? 攻撃呪を使えぬハズの聖女が、吸血鬼を倒すなどありえない。人心を惑わす、間違った歌だって」

 事実だろうがな。
 若い娘のクセにたった一人でキニルにたどり着いた強運と意思。ティアならやりかねない。

 キニルでは行方不明者と不審死を遂げる者の数が少し減り、施療院に収容されていた犠牲者たちのうち、3人の呪縛が解けた。間違いなくバックスは滅びた。

「リュート弾きに、アレフの口付けを受けた者がいたか。特定できたところで、もうウェンズミートには居ないだろうね」
「こっちが全文。少しずつ違う歌もあるらしいが筋はだいたい一緒。……けど、なんでティアと村の剣士なんだい。どうして作らせたテメー自身をホメたたえさせない?」

「作った者は武勇歌にふさわしい真実を伝えたかっただけで、ご機嫌取りのつもりは無いのかも知れんよ。むしろアレフが関わっているのを隠そうとしているようにも読める」
 魔法士に触れているのは1行だけか。

「今、モルの銀船は?」
「スフィーを出て南下していると思うが……すぐに無駄足だと気付くんじゃねいか」
 メンターの眉間のしわを観察していたモリスは、不意に笑い出した上司に面食らった。

「印刷部にいって、教会の数だけ刷ってもらってきてくれ。森の大陸以外には速文で通達。教宣用の人形劇と武勇歌の主役にティアをすえる」
「本気か?」

「人々は悲恋を好むが、若き英雄も大好きだ。モルよりティアの方が十ばかり年下だ」
「だが、女だ」

 天敵を……吸血鬼という口減らしの道具を失ったなら、女の数は抑えられねばならない。女は罪深きもの、愚かなもの、男より価値なきものと貶《おとし》めて、赤子のうちに間引くよう民に仕向けねば、人は際限なく増えて大地を食い尽くしてしまう。
「ファラを滅ぼし、夜明けをもたらした英雄モルの教えに逆らうのか」

「敵役も英雄も、制御できるに越したことはない。ティアは……出自さえ明かせば、いつでも魔女の烙印をおして、引きずり下ろせる。だが、モルはそうはいかん」
 藍色のストールをもてあそびながら、メンターが笑う。

「何より、教会の勤めは全ての知を万民と共有する事。森の大陸を救った真実の物語を隠すのは、我々の存在理由をないがしろにする大罪ではないかね」

「けど、カンジンの聖女様がどこにいるかわかんねいぞ。ダイアナの呪縛は解けてねいが……」
 もう警戒されてる。ムリに聞き出したところで、ウソを掴まされるに決まっている。

「私も、金を産む奇跡の癒し手を、煙花漬けにしろとは言わないよ」
 借り上げたキニルの施療院は、画期的な治癒呪の開発と実地研修をしていると、えらく評判が高い。寄付金もたんまり集まっている。

 血の絆によって刷り込まれた再生呪を使うなど、ダイアナ自身は不本意の極みだろう。だが、目の前に助けを求める者がいるなら、フテ腐れてばかりもいられねぇ。

「今どこに居るかはわからなくても、どこに行きつくかは分かっている。それで十分。ティアにそれ以上は望めない」
「ここに帰って来るかねい」
「帰ってきたときは……今の世の終わりの始まりだ」

 終わりの始まり。嵐の前のような高揚感をおぼえる言葉だった。
第十四章に戻る | 第十六章へ | もくじへ |

-Powered by 小説HTMLの小人さん-