夜に紅い血の痕を

著 久史都子

第三章 オールドボーイ・ミーツ・ガール

第二章に戻る | 第四章 その1へ | もくじへ |

    ページ内ジャンプ 1.明けない夜  | 2.クインポート  | 3.ファム・ファタル  | 4.死なない者の殺し方
1.明けない夜


 北の都バフルから、貿易港として栄えるクインポートを経由し、東海岸沿いに散らばる町や村を繋いで伸びるグラスロード。西部も中央部も荒地と砂漠に占められている東大陸で、緑と人里があるのは、何百年も昔に整備されたこの街道沿いだけだった。
 昔は……

 街道の南の始点だったカウル直近の駅は、厩《うまや》の数が増えただけでなく、倉庫が増設され砦の様になっていた。新しい道がさらに南へと伸び、宵闇の中を乗合馬車が近づいてくるのが見える。屋根には荷物だけでなく乗客も二人ばかり上がっている様だ。

 何もかもが新しく変わっていく駅で、この貴賓室だけが時代に取り残され、古びていた。
 カギを探すために管理業務総則を繰っていた駅長の様子を見る限り、この四十年間、プラットフォームの鉄柵は開けられたことはなく、部屋どころか階段に足を踏み入れた者もいなかったのだろう。

「緑が増えたな」
「アレフ様が天候の管理をやめてしまわれたので、ロバート様が入植者を募って植林させたんですよ。井戸が枯れては、羊も領民も干上がってしまいますから」
 家具にかけられたホコリよけの布を取り払いながら、ドルクがやんわりと皮肉で返す。

「よく金があったな。確か植林を条件に入植した者からは税を取らず、育った樹木の本数に応じて報奨金を与えるということになってなかったか?」
 窓から見渡せる範囲でも、小さな城の一つ二つ軽く建ちそうな金が注ぎ込まれている。かつては貧弱な放牧地しかなかった乾いた大地に、森と……並木に囲まれた麦畑が生まれていた。
「眠っておられた間に、色んなことがあったんですよ。今のクインポートをご覧になったら、きっと驚かれますよ」

「驚く……か」
 目覚めてからまだ一日。所領のハズなのに見知らぬ異国を旅している気分だった。クインポートの代理人を喪い、迎えの馬車をよこすことができず、駅まで歩かされた不便も、行き先の事情がまったく分からない事も、なぜか不快とは感じなかった。
 どこか面白がっているようなドルクの表情を含めて、この状況はむしろ楽しい。
 言葉にすれば“新鮮”か。

「こちらにお掛け下さい。馬車の手配に、もう少しかかるでしょう」
 振り返ると、花の木彫が施された背もたれに、ドルクが手をかけていた。
「足は疲れてない」
「窓際にずっと立っておられますと、道行く者達が怖がります」
「そう……か」
 かつてはクインポート以北の豊かな地域ですら滅多に見られなかった、定員超過の乗合馬車に興味はあったが、乗降客の観察は諦めるしかなさそうだ。

 座りかけて、ふと誰かに呼ばれた気がした。城を護る衛士やコウモリ達に意識を飛ばしてみるが、特に異常はない。もっと別の、心話にもならない気配のようなもの。
「……馬車が整うまで無駄に待つぐらいなら、夜通し歩いた方が早くないか?」
「また、ヒトニグサどもが足に絡んで来るかも知れませんよ。それにクインポートは逃げません」
 確かに、この程度の遅延など、バフルまでの遠い道程を思えば、気にするほどのものではない。いつしか気配そのものも階下の賑わいに紛れて消えてしまっていた。




「くそったれぇ」
 猿ぐつわの下では悪態もうめき声にしかならない。死刑宣告に続いて処刑方法を得々と語る元同僚をにらみつけようにも、感覚がなくなるほど堅く縛り上げられ床に転がされている身では顔を上げるのも困難だ。手足が壊死してないのが奇跡に近い。いや、飲まず食わずで七日目。まだ意識がはっきりしている事に、彼女自身が驚いていた。

 吐き気をもよおす悪臭は、この数日間に垂れ流した彼女自身の汚物。尿が染みこんだ聖女見習いの法服は、寒い時期でなくても容赦なく体熱を奪っていった。悪臭のおかげで性的な暴行を免れたのかも知れないが、そんな事は慰めにもならない。

 むしろ手を出してきてくれた方が、殺して逃げる機会もあろうってモンだ。

 こんな事なら浄化や破邪の術ばかり修行せず、精霊魔法も覚えておくんだった。風や火の術が使えれば、手足の綱を断つことや、燃やすことが出来たかも知れない。印も結ばない中途半端な回復術だけでは、いまに体力も気力も尽きる。

 いや、精神力が切れる前に、火刑台で煙に肺を焼かれて息が止まるのが先かな。
 手と口さえ自由なら、耐火呪の一つも唱えて、見物に来たやつ等全員が、悪夢にうなされるような死に様を見せてやれるのに。ただれた顔でにらんで、一人ひとり指差して名を呼んで、二度と忘れられないような呪いの言葉を吐きかけてやれるのに。

「なんで、逃げなかったのよ、父さん」

 ヤバいのは分かってたはず。モル司祭にあおられた町の人が館に押し寄せるずっと前から、身の危険を感じていたハズだ。
 商会の旦那連中が勝手に街を広げはじめて、事務官たちがどんどん辞めてって、もう誰も父さんの言うことを聞かなくなって……邪魔にされて憎まれてたの、分かってたはずなのに、なんで館に居続けたんだろう。

 大事なご主人様のため?
 何にもしてくれないのに、マイロード? 笑っちゃう。
 眠ったまんまの吸血鬼より、そのヘン飛んでる蚊に頼る方がずっと気が利いてる。
 頬骨が砕けて目が潰れるまで殴られて、手足の骨も肋骨も砕かれて、血ヘドと一緒に吐き出した最期の言葉がマイロード。目の前で実の娘がブン殴られて踏みつけられてたってのに。

 まぁ、その後、大暴れして父さんを殺ったヤツらをボコったせいで、縛られて、牢屋に転がされちゃってるんだけど。
 あいつらすっかりブルってたな。一人ぐらい殺しちゃったかな。死んでてほしいな。でなきゃ、死んでも死に切れない。

『明けない夜はない』か。
 夜が明けたらあたしは処刑される。
 明けない夜があるのなら、あたしはそっちの方がいい。

3.ファム・ファタルへ  |  4.死なない者の殺し方へ  |  ページtop

2.クインポート


 行く手に見えてきた石壁は、アレフの記憶にある首都バフルの城壁より高く長かった。その防壁の向こうに高い建物が幾つか見える。見覚えのない家紋を染めた旗がそれぞれにひるがえっていた。旗の全てに黄色い吹流し……他領との交易許可の証がついているという事は、クインポートの町は豪商と呼べる者たちが集い、楼閣の高さを張り合うほどに発展しているということか。

 馬車が二つの尖塔をもつ南門をくぐると、見覚えのない美しい通りが姿を現した。4つの車輪は石畳の上を滑らかに進み、焼きレンガで造られた建物の窓には板ガラスがはまっている。朝の気配がのこる煙臭い空気の中を行き交う人々は、整備された歩道を歩き、黒塗りの馬車に注目することもない。港へ向かう道に目をやったとき、朝市のなごりと思われる露店と人の多さに、大都市キニルに迷い込んだような錯覚を覚えた。

「広場に人が集まっているようです。少し遠回りして代理人の館に向かいます」
 手綱を操るドルクの言葉に、坂の中ほどにある広場のほうを見ようとしたが、すでに遥か後方だった。
「何だと思う?」嫌な予感がする。
「……火刑台の様でした」
「人が焼け死ぬところなど、見ても気がめいるだけだろうに」
 町は美しく立派になっても、住んでいる人の心はそうでもないらしい。
 西の高台にある代理人の館が見えてきた時、さらにその思いは深くなった。

「これは……」
 馬車を止めたドルクが絶句する。打ち砕かれた門には無数の斧のあとが残り、庭の花木は踏み折られ、かつてはこの建物にしかなかったガラス窓もすべて割られていた。壊された扉の奥に広がるホールは竜巻が通り過ぎたかのように、書類と帳簿が足の踏み場もないほどに散らかり、古い血の匂いがかすかに漂っていた。

 この光景があることを、すでに知っていた気がする。
 目覚める直前、最後に見た悪夢と痛みはおそらく、ここで起きた現実だ。

 不意な脱力感で、膝をつきそうになる。
「大丈夫でございますか。お腹立ちかも知れませんが、反乱を起こした者への処分は後まわしです、まずは」
 違う、多分これは、守護が……不死の命を分け与えたしもべが、滅びに瀕して始祖の力に頼り蘇生しようとしている感覚。

 広場の方に黒煙が見える。
 意識を飛ばせば息苦しさと皮膚を焼く炎の熱さも感じる。
 あそこで殺されようとしているのは生命の共有者。

 名前すら知らない、おそらく術具による擬似的な闇の子だとしても、魔力の供給を断って見殺しにするわけにはいかない。
 だが、どうしたらいい。どうすれば、今すぐ助けられる?

「火刑……なら水か」
 ウンディーネ……いや、水場からは遠い。ならばシルフ。ヴァエルが擬人化に成功した大気の精霊を幾体か譲り受けた時、クインポートにもひとつ常駐させたはず。
 貿易船を見守るよう命じておいた彼女は、まだ解体せずに居るだろうか。

 アレフは踏み折られた枝を拾い、大気に干渉する魔方陣を描きあげた。
 魔力をこめた瞬間、目まいに襲われる。やはり陽光の下で天候をあやつるのはキツイ。
「シルフィード!」
 手を空に差し上げ、喚んだ。
 何の反応もない……
 目を閉じた時、指先を風が巻いた。
「来たか……」安堵で笑みがこぼれた。
「海上から風を集められる限り集めて、街の上空へいざなえ」

 クインポートを包む大気が、海上から風を吸い上げ、強い上昇気流を生じさせる。雲が生まれ灰色に厚く伸び上がり日光をさえぎり、仮のたそがれをもたらした。
「ありがとう。これで、なんとか力を揮える」
 大気を動かしてくれた精霊の労をねぎらい、あらためて雨を呼ぶ呪を唱える。待っていたかの様に大粒の雨が地面を叩き始めた。

「……雨だけでは消しきれないか」
 まだ生命の共有者の痛みは続いている。だが、滝の様な雨が広場に集っていた見物人の大半を建物の中へと追いやり、館の前からでも火刑台がはっきり見えるようになった。

 力を飛ばし火刑台の周囲に多量の熱を奪う魔方陣を組み上げる。すでに全身をヤケドしている身に、凍傷が少し加わったところで文句はあるまい。青白く輝く術の発動と同時に火が完全に消え、白い煙が雨の中をただよった。



 雨の中、広場へと坂を下りていくアレフを見てドルクは慌てた。
 火刑台に集まっていた野次馬どもは、不意の豪雨をもたらしたのが何者か気づいて逃げ散ったが、まだ残っている者がいる。一人は剣を抜き、もう一人は法服をきた司祭。
 闇の中で不意をつくのならともかく、明るい場所で正面から近付くのは危険すぎる。もし破邪の呪を食らったら……。

「ええい、先陣を切らせていただきます」
 腰の剣を抜き、半獣化する。主を追い抜き、敵の注意を引きつけるために、左右に大きく振れながら坂を駆け下り、人にはあり得ぬ速度で司祭に切りかかった。

 刃が届く寸前に、横の剣士に防がれた。
 直後に裏返った声で司祭が呪を発動させる。
「しまっ……」振り向くと、光の方陣に包まれた主が道に倒れこむところだった。だが、なんとか消滅も灰化もせずに耐えておられる。
 ならば、
 次の破邪呪の術式が完成する前に、剣士を片付けて司祭を殺せばいい。
 切り結んだ腕に力をこめ、剣士を弾き飛ばした。

 そして司祭のほうに切っ先を向けようとして……一目散に逃げる背中が路地に消えるのを見て唖然とした。それを見た剣士も這うように逃げ出し、少し残っていた町の連中も一斉に建物に逃げ込んだ。

 残ったのは、火刑台に縛りつけられ、顔も服もススまみれになった少女と、その前に立ちはだかり、近付いてくる主を震えながら睨み付けているアゴのとがった男。武装はしておらず呪の詠唱の気配もないから危険はなさそうだが、目つきが少々マトモではない。
「わ、わたしは、町の人に選ばれた新しい町長だ。も、もう、人はお前の家畜じゃない!
 人のコトは、人が決める!」

「お前が新しい代理人になると?」
「私は、お前に血を吸われて喜ぶドレイになるつもりはない。お前に操られて圧制を布いていたものは排除した。ここはもう人の街だ。速やかに立ち去れ」
 主が額に手を当てる。多分、男が言っている言葉の意味を判じかねておられるのだろう。
「私のしもべを……ブラスフォードを殺して、彼の娘をも焼き殺そうと『決めた』のは、お前だという意味か?」

「それは……だから、ここはもう人の街だ。速やかに」
「まぁ、いい。代理人候補だろうと反逆者だろうと」
 不意に男の胸元をつかんで引き寄せた主が、無造作に首筋を噛むのを見て目をそらした。何が起きたのか一瞬わからなかったらしく、少し遅れて男が悲鳴を上げた。

 日中に風を呼び雨を降らせ氷の術を使い、破邪の呪に身を焼かれた。多少なりとも言葉を交わす時間、渇きを我慢されたのが不思議なくらいだ。

 けたたましい悲鳴と足掻きは多少小さくなってきたが、静かにはならない。“町長”はまだ意識を保っているようだ。尊敬には値するが、いま我を張るのは愚かしく無意味だ。戦う力を持たず仲間もいないのに、飢えた不死者と対峙するのと同じくらいに。

 始まりと同じく唐突に町長が解放された。よろけながら逃げ去っていく後姿を見る主は、どこか残念そうだった。
「……折れなかったか」
 驚いた。しもべには出来なかったという事か。
 いや、それよりもまずは、

 ドルクは積み上げられた柴とワラを蹴り崩し、綱を剣で断ち、火刑台から娘を抱きおろした。すでに娘の肌をただれさせていたヤケドは癒えはじめ、焼けた髪が徐々に色とツヤを取り戻していく。

 娘の指にはイモータルリングがはまっていた。衛士たちに与えられる不死の指輪。
 やせて垢と汚物にまみれた様子を見る限り、指輪の回復効果がなければ焼かれる前に死んでいたのかも知れない。
「代理人の館へ連れていきましょう。間もなく真昼です」

 主がくちづけを与えても“町長”の心を支配できなかったのは、昼間だったせいかも知れない。雨も小降りになってきた。太陽が顔を出す前に地下の寝所に入っていただかなければ。
 町の者の暴徒化は怖いが、さっきの派手な突風や雨、そして町長が上げた悲鳴に恐れをなして、しばらくは息を潜めていてくれることを期待しよう。


 ドルクは意識のない娘を沐浴させ、略奪と破壊をまぬがれたベッドに寝かせた。ススと垢をこすり落としてみると、日に焼けた引き締まった肢体と蜜色の髪をもつ、十五・六のなかなか可愛い娘だった。意志の強そうな眉は父譲り。他は母親から受け継いだものだろう。暫定的な不死状態なら、体が冷えたところで風邪の心配はないが、一応毛布をかけてから浴室にもどった。

 驚いたことに娘が着ていた服はほぼ無傷だった。織り込まれたミスリルの効果だろうか。これだからテンプルの装備は怖い。
 各所に施された魔よけの紋に文字通り手を焼きながら、何とか洗濯をおえて裏庭の洗濯ヒモに通した。
 洗濯物の周りを緩やかなつむじ風が舞い始める。久しぶりに主に名を呼ばれたのが嬉しかったらしい。この調子なら日が傾く頃には乾くだろう。

 それにしても、砕けた扉と家具でとりあえず入り口を塞いだ正面ホールを通る度に、ため息が漏れる。  館の中を片付けるのは諦めた。割られた陶器とガラスを片隅によせ、足の踏み場を作るのが精一杯。町の者たちが運び去った置物やタペストリーといったすぐに換金できるモノより、床に散乱している紙の方がよほど価値があると、誰かが気づくまでほっておこう。
 公的な記録をなくして困るのは、ここを襲った連中のはずだ。

 出来る範囲の仕事を終えて、地下の寝所に降りた。
 予想はしていたが、主は起きて机に向かっていた。この状況で眠っておられないことに正直ほっとした。
「面白いな」
「はい?」
「いや、皮肉といった方がいいのか」
 ホタル火ほどに絞った灯の下に開かれている革張りの帳簿は、交易船に関する去年の記録だろうか。

「ファラ様が滅びて中央大陸が人の物になったから、東大陸が富んだのか」
「それは……極論かと」

「ぶどう酒と毛織物以外、ロクな産物がなかった貧しい流刑地とは思えない取引額だ。
 帳簿に書かれている明細を信じるなら、ファラ様や他の太守たちが宝石よりも大事に抱え込んでいた細工師や織工、絵師に陶工に指物師……私がどんなに書簡を送っても、末の弟子さえよこしてくれなかった名だたる工房が、バフルとクインポートに集まっていることになる」
 ページを繰る主の口元に、自嘲的な笑みが浮かんでいる。

「人同士の争いや街道での略奪が当たり前になった中央大陸から、平安を求めて東大陸に大勢の者が渡って参りました。その……毎年の様にアレフ様が送っておられた書簡が、彼らに渡航の決意をさせたのでしょう」
「それは違うだろう」
 即座に否定する主を前に、ドルクは口をつぐんだ。書簡を渡航許可証代わりに握り締めてきた者達はいたが……それはわずか数名にすぎない。

「周りを囲む海を盾に、最後まで我を通したがる時代遅れなガンコ者の土地だからだろう。ここを本気で潰したければ、ファラ様がしたように瘴石と重水から作り上げた劫火で焼き尽くすしかない」

 昔話が本当なら
 ここは、ファラ・エル・エターナルがもたらした平安を最後まで受け入れず、何もかも焼き尽くされた反逆の大地……土の中にいるという目に見えない生き物までもが死に絶え、何千年ものあいだ一本の樹も生えない不毛の大陸だったという。
 ならば船を作って逃げることも叶うまいと、時おり反抗的な人々とその血縁者が、半ば捨てられるように送り込まれたとか。

 このクインポートの周囲に広がる始まりの森。
 あの木々の根には一つづつドクロが抱え込まれているという伝説もある。それだけ多くの罪人が野垂れ死んだという意味かと思ったが、そうではないらしい。
 人の力で、雨に流される土を押しとどめ、草を育み、木を植え……クモの糸でジュウタンを織るような、気の遠くなるほどの手間と時をかけて、人が住める土地を少しずつ増やしてきた。名も無き祖先達が成した偉業を誇る伝説だと教えて下さったのは、アレフ様のお母上様だったろうか。

 北の空にかかる月と同じ色の髪を結い上げ、肌を守る黒いヴェールを指先で少し上げて、木陰で書物に親しんでいた美しい横顔を、いつしか主に重ねていた。

 誇りなのだと言われても、骸骨を抱く森を不気味だとしかドルクは感じなかった。
 手を抜けばたちまち雑木がはびこり、畑も村も森に飲み込まれてしまう故郷とは、風の軽やかさからして違う土地。世界で一番小さな乾いた大陸は、五百年近く過ごしてきた今も、ドルクにとって異郷だった。

2.クインポートへ  |  4.死なない者の殺し方へ  |  ページtop

3.ファム・ファタル


 懐かしいけど見慣れない天井と木目を、ティアはしばらく見ていた。今までのことを全て夢だと思い込むには、梁のフシアナが三つばかり余分だ。ベッドから身を起こして、ここが館に勤めていた事務官の宿直室だと知った。部屋は荒らされてないけど、扉は壊されている。

 少なくとも、館が襲撃されて父さんが殺されたのは夢じゃない。

 服は脱がされてたけど、特に乱暴された形跡や痛みはない。
 作り付けの棚に、白い布の小山があった。家出する前につけていたあたしの下着だった。もう小さくて着られないかと思ったら、無理すればなんとか入った。なんだか、この2年間、ちっとも成長してないとあざ笑われているみたいだ。

 西日が射す窓の向こうに、風で揺れる法服を見つけた。枝に引っ掛けられているブーツに縄の跡が残っているのを見る限り、縛られて牢で過ごした日々も現実。見習いの身分を示す白い腰紐の焦げっぷりからすると、広場で炙り焼きにされたのも本当にあった事みたいだ。

 少し迷ってから、靴下を握って窓を乗り越え素足で庭に降りた。そこそこ乾いているのを確かめて、軽くかかとのホコリを払ってから靴下とブーツを履く。クツ紐も燃えたらしいけど、物置に予備ぐらいあるよね。
 灰色で地味で厚ぼったくて、ドレスとしてはまるでイケてない法服をかぶって銀の留金を止めたら、やっと普通の感覚が戻ってきた。
「……おなか空いた」

 ここで働く人や、手続きに来た人を相手に、薄く切ったパンに茹で野菜や塩漬け肉や揚げ魚を載せて売ってた店が近くに……あ、もう商売替えしてたんだった。
 よく考えたらお金も持ってない。
 しかたない、何か金目の物を見つけて売っぱらうか、直接食べ物と交換してもらおう。

 ひらりと窓を跳び越えて戻り、隣の部屋や父さんの部屋、昔使ってた自分の部屋を探してみたが、目ぼしい物は残ってなかった。
 普段は上がっちゃいけない事になっていた二階へ行ってみようとホールに出た時、散らかった紙の間に広がる黒い染みが目に飛び込んできた。

「なんでよ……」
 あんなバカ親父のために、どうしてあたしは泣いてるんだろう。涙をこぶしでぬぐって、さっきの続きに取り掛かろうと顔を上げたとき、階段の前に若い男が立っているのに気がついた。

「あんた、だれ?」
 あっちゃー、もう二階も物色されちゃった後か。なんとか盗品を横取りできないかな。一応ここの娘だし、泥棒の上前はねる権利ぐらいあるよね。ゴネたら軽ぅくヒネっちゃお。あ、でも、なんかすごく申し訳なさそうな顔してるし、これは脅しつけるだけで言うこと聞いてくれるかも。

「本当にすまなかった」
 おっと、脅す前に謝るなんて素直じゃない。ていうか、まだ質問に答えてもらってないんだけど。ひょっとして泥棒じゃなくて知り合い? ヤバい、記憶にない。まさか、昔あたしが小遣い巻き上げた近所の子……じゃないよね。年上っぽいし。うわ、沈黙が痛い。

「この町にこんなイイ男はいたかなぁ。でも顔色悪いわね。
 まるで……ヴァンパイアみたい」
 こら、なんで黙って目を逸らす。ここは笑うか怒るか突っ込むところ……
「ひょっとして、マジ?」
 言ったあたし自身が驚くほど、低い声だった。

「……遅いじゃない。父さん、ずっと待ってた。
 殺された瞬間まで!
 あたしは、そんな父さんがキライで、だいっキライで。ぐれて、家出て……ホーリーテンプルの聖女見習いになったわ。あんたを倒したくて!」

 そうだ、あたしはコイツから父さんを解放したかった。
 だけど、間に合わなかった。

「……街の人達が父さんに乱暴して。
 止めようとしたら、あたしも ヴァンパイアの手先だって決めつけて……」
 たしか火焙りにされたはず。もしかしなくても、助けてくれたのはコイツか。火傷が治ってるのも、飲まず食わずだったのになぜか死ななかったのも、コイツのお陰だとしたら……理屈はわかんないけどツジツマは合う。

「イチオウ言っとくわ。 あ り が と う !」
 でも、素直に感謝なんて出来ない。
「で、何が欲しいの? やっぱ、あたしの血? いいわよ。好きにしたら」
 首筋を噛むなら体はくっつく。そして食事にどれくらいかかるのか知らないけど、確実に動きは止まるし油断もする。心を支配される前にホーリーシンボルの一発ぐらいぶちかませるはずだ。

 たとえ滅ぼした直後に、コイツの後ろに影のように控えている従者に刺し殺されるとしても、かまわない。
「ティア……さん アレフ様はただ、あなたのお父上の……」
 父さんがなんだっていうのよ、このヒゲおやじ。父さんのバカげた忠誠のお返しに、あたしを助けてやったとか言いたいわけ?

 あ、違うか。
 謝ってた。それに今も顔は伏せられたままだ。父さんを死なせたお詫びに助けてくれたのか。もしかしなくても、ものすごくあたしに負い目感じてる?
 ……これは、ちょっと作戦変更した方がお得かも。

 えっと、父さんはコイツのことをどう言ってたっけ?
 まじめとか、魔導の研究がどうのとか、学問好きとか、教会の理解者……なんつー物好きな。ということは私への敵対心は……最初からないか。
 とりあえず、さりげないお世辞で探り入れてみるか。
「わかっ……てる。そのキレーな顔に書いてあるもん。テンプルが言うほど悪い存在ってツラじゃないもん。人は殺さないって父さんに聞いていたし……」

 えっと、コイツの負い目を最大限に利用できる要求ってなんだろう。普通に考えたら金とか地位かな。でも代理人になるのはまっぴらだし……っていうか、いま落ち目だよね。バフルの城主が滅ぼされて、その跡を継ぐのかどうかも分かんない。もしかして金だの地位だのは、カラ約束になるんじゃない?

「よし! あんたにくっ付いてってあげる」
 迷った時は、一時保留! あとで利子つけてがっぽり回収。
 おっと何か言いたそうだけど、しゃべるスキはあげませーん。
「家はこんなだし、もうこの街にもいられない。テンプルのやり方も気に食わなくて逆らっちゃったし……私の居場所、もうどこにも無いんだ」
 しおらしく、なるべく心細そうな声で言ってみる。
 よーし、ほだされてる、ほだされてる。
「まあ 非常食だと思ってくれてもいいよ」
 あ、少し怯んだ。よし、今なら反対されないよね。
「そうと決まったら、ちょっと旅支度してくるね」
 これで、けってーい。

 たしか背負い袋が部屋にあったはず。
 走り出しかけて、空腹を思い出した。
「あ、何か食べるもんない」
「でしたら、台所に茹でたイモの残りが……」
「ホントに? イモが無事なら、塩も略奪を免れてるよね」
 なかなか気が利くじゃない、ヒゲおやじ。あ、自分用の余りか。ま、いいや。腹ごしらえしたから旅支度だ。



「アレフ様、なんだか楽しそうですね」
 ドルクに指摘されて、微笑んでいたことに気がついた。親を亡くして悲嘆にくれる娘に向けていい顔ではない。いや、健気におどけて見せたのは娘のほうが先か。怒り、敵意、哀しみ。めまぐるしい感情の動きの最後に、唐突すぎる好意の様なモノ……?

「気の強い人だ。アレフ様にタメ口を利くなんてネリィ様以外……失礼しました」
 確かにネリィに髪の色は似ているが、“あんた”呼ばわりされた事は一度としてない。突然、心の中にまで飛び込んで来たのとも違う、奇妙な距離感。
 そうか“見下されて”いたのか。

「それも当然か」
 個人的な感情に囚われて現実から背を向け責任を放棄した。そのせいで、ブラスフォード親子を始めとするしもべたちが味わった辛酸を思えば、侮蔑されても仕方ない。ティアの他にも助けを求めた者がいるはずだが、結果的に見捨ててしまったのだから。

「確かにこの街に置いては行けません。身の振り方を決めさせる為にも、バフルまで連れていくしかないでしょう」
しもべに出来なかったとはいえ“あの町長”の記憶は読み取れた。ブラスフォードの圧制というのは、太守の承認が必要な港の大規模な改修や町の整備を差し止め続けた事を指す様だ。そのせいで生じたと信じる遺失利益と、街に投資した多額の資金を、町長を支援する豪商たちは諦め切れないらしい。

 その恨みが解けない限りこの街でティアの身の安全は保障出来ない。ドルクが言うとおりバフルに連れて行くしか無いだろう……一応、本人の希望とも一致している。

「とはいえ……彼らも、一枚岩ではないか」
 海から湿度の高い風を集めた時、港に停泊していた船と積荷に少し損害を出してしまった様だ。処刑はやりすぎだったのではないかと、逆恨みめいた抗議を船主から受けている町長の困惑が、取り込んだ血を媒介にして伝わってくる。
 呪縛はおろか心話すら送れない、片恋の様な血の絆だが、これはこれで使えるかも知れない。読みとられる可能性に気づいてもいない者の心は主観的で正直だ。

 確かに町長の言うとおり今のクインポートは“人の街”だ。だが人がアレフ以上の失策をすれば、強権的な手段で制圧せずとも、諸手を挙げて太守の支配を受け入れる時が再び来るかも知れない。
 まずは風の精霊の加護を今後も受ける為に、こちらに譲歩してくるか、人の力だけでやっていくと突っぱねるか……

「あくまで突っぱねるか」
「は?」
「“町長”を置き去りにして逃げた……司祭だったか。教会に金を出している商人の会合で吊るし上げを食らっている。もうすぐ、こちらに来ることになりそうだ。
 この街の者は、私を滅ぼしてシルフィードを解体したいらしい」
「これまで貿易船を加護してきた彼女に、あまりの仕打ちですな。
 その、一人で、ですか?」
 「ドルクが弾き飛ばした剣士は腕を痛めたようだ。偽傷かもしれないが」
 人狼が露骨に安堵のため息をつく。
「だが、あの光の術は厄介だな。陽光をやわらげる指輪と……雨水に力を持っていかれないよう、念のためにまとっていた精霊魔法の結界を貫いてきた」

「へぇ……ラットルのホーリーシンボルには耐えたんだ。腐っても始祖ね」
 いつの間にか布袋を担げた娘が、食べかけのイモを片手に立っていた。
 声をかけられるまで、気配を感じなかった。それに婦人の荷造りにしては驚くほど早い上に、少なすぎないだろうか。

 ドレスや帽子や靴、様々な小物が限界まで詰ったチェスト数個に、化粧品その他の手回り品を詰め込んだカバンを、座席下の物入れや後背部の立ち台に、複雑なパズルでも組むように積み込んでいた、母やネリィの荷造りを何となく予想していた。

2.クインポート  | 3.ファム・ファタルへ  |  ページtop

4.死なない者の殺し方


「心配しなくても、ラットルの力量じゃホーリーシンボルは一日一発が限度。もう食らう事はないんじゃない」
「ホーリーシンボル?」
「あ、知らないのか。寝てたから」
 このティアという娘が露骨に向けてくる侮蔑。和らぐ日は来るのだろうか。

 年長者には敬意を払え、などと説教する気はアレフにはない。かつて、30倍どころか数百倍は長生きしている者達に若造呼ばわりされ、それでも負けまいと互して討論していた過去を振り返れば、何か言える筋合いでもない。
 だが……ため息はもれる。

とはいえ
弁明の余地がない以上、ティアの態度を改めさせるより、合わせる方が賢明か。
「そのホーリーシンボルという術について、無知な浅学菲才の身を啓蒙していもらえますか?」
「あー、難しい言葉をわざと使って、あたしをバカにしてるでしょ」
「まさか」ばれたか。
 対ヴァンパイア用の切り札なら、当の相手に極意を教えるはずがない。たとえもう、テンプルの者でないとしても、軽々しく奥義を口にはしないだろう。

「結び目を解く力よ」
 答えなど期待していなかっただけに、ティアの言葉に驚いた。
「その体、触れるけど実体じゃないんでしょ。その証拠に影が無い。
 物質世界に力を及ぼす為の道具って意味では生身の体と同じだけど、本体は精神世界にある。だから年をとらないし、その体を破壊してもすぐに再生しちゃうし、わずかな量の血で維持できる。違う?」

「ヤワな半実体だから、陽光ごときで焼けちゃうし、水の流れにもっていかれそうになる。そんな不安定な体と精神世界の本体を繋いで、なんとか存在させているファラの邪法を『結び目』に見立てて……それを術者の精神力で解いちゃうのがホーリーシンボル。不死化に使われた方陣を反転させた破魔の形が術の本質、だったかな」

 遠い記憶をたどってみたが、ティアが身につけている法服の紋と、セントアイランド城の地下にあった魔方陣の共通性は見出せなかった。
 しかし、魔方陣は平面とは限らない。表に出ていなかった部分を図形化し反転させているのかもしれない。

「その辺にありふれてる力とか、物そのものに作用する術じゃないから」
「精霊魔法や陽の光と違って対術反射や物理結界では防げない……か」
 雨の中、不意に大地から湧き出し、不死の身体を内側から焼いた白い光。細胞の一つ一つを分解される様な痛みと消耗。あれが“結び目を解く力”か。術の性質上、精神力だけでなく、本来は不死者に味方するはずの地の力も加味されていそうだ。

「術の原理は分かった。対処法は?」
「方陣の効果範囲から逃げるか、仕掛けてる術者を殺るぐらいしか、対処のしよう無いと思う」
 なるほど、ホーリーシンボルの奥義を洩らしたところで問題は無いわけか。
「……ティアさんも使えますか?」
「使えるって言ったら……ビビる?」
 ハッタリか本気か判別しにくい不敵な笑みを浮かべた元聖女見習いは、不思議と魅力的に見えた。
「それは、怖いですね」
 人を捕食し続けてきた存在を前にして、わずかな怯えも見出せない。負い目からアレフが手を出さないと確信しているとしても、ここがティアのナワバリと言える生まれ育った家である事を考慮しても、何の対抗手段も無しで落ち着いていられるとは考えにくい。

 世の中全てを見下す青臭い態度は虚勢だとしても、ラットルとかいう司祭より“使える”という自信は本物だろう。

 何かが引っかかった。
 ティアに教えられるまで、ホーリーシンボルの原理を、なぜ知らなかったのだろう。テンプルの者が使えるのは精霊魔法を応用した炎の術と、触媒を使った召喚術のみだと信じ込んでいた。だから、さっきは足元に出現した光の方陣を危険なモノだと思わなかった。

 城に侵入した3人はホーリーシンボルの概念を持っていなかった。そういう術があるという知識を聖女は持っていた気がするが……結び目だとか不死化の術の反転といった術の本質に対する理解が、あの若い司祭には全くなかった。

 ワナや結界や守護をかいくぐって寝所にたどり着いたとして、どうやって私を滅ぼすつもりだったのだろう。白木の杭でも隠し持っていたか、時間をかけて焼くつもりだったのか。それとも……

「ねえ、馬車の車軸にイタズラしてるヤツがいるんだけど?」
 ティアの言葉で思考は中断した。彼女の視線は背後の窓の外に向いている。
「日が暮れる前にと、走って来たみたいですね。それにしてもセコい手を使う司祭サマですなぁ。借り物の馬車を壊されても困りますし、ちょっと注意してきます」
 ドルクがカギを開け、窓を開け放った拍子に、残っていたガラスの残骸が幾枚か落ちて派手な音を立てた。それに驚いて振り向いた、妙に前歯が目立つ男は確か火刑台のそばにいた……

「てっめぇ、ラットル。よくもあたしを焼き殺そうとしやがったな!」
 若い娘の物とは思えぬ怒号と共に、金と灰色のカタマリがホールを突っ切り、窓を跳び越え、手にしていた布袋で司祭の顔を殴打した。

「なんで、ピンピンして……この化け物女!」
殴り倒された司祭が対抗して投げた石は、車軸のクサビを緩める為に握っていたものだろうか。それを顔に当たる直前に防いだティアの反射神経には目を見張るものがある。だが、
「あー、まだ半分以上残ってたのに!」
 ゆでイモで衝撃を吸収したのは計算ではなかったらしい。

 怒りに任せて振り下ろした足を捕まれて転んだあと、灰色の法服を着た者同士の取っ組み合いが始まった。いくら威勢が良いとはいえ、若い娘の身で大の男と格闘とは無茶をする。ドルクが助太刀に向かった時には、地面に置かれていた武器……おそらく破魔の紋を刻んだスタッフの奪い合いになっていた。
 もしもの時は近くに居たほうが守護の再生は早い。窓を乗り越え、ガラスの破片に注意して歩み寄った時、不意に司祭がうめき、ティアがスタッフをもぎ取って立ち上がった。

「裏切り者め。その回復力、やはり吸血鬼の眷属に成り下がったか」
 司祭の非難はあながち間違ってはいないが、どうもティアのカンには触ったらしく、奪い取ったスタッフを高々と振り上げるのが見えた。
「誰が裏切り者よ、モルのオマケのくせにっ」

「操り人形が……食らえ」
 司祭がベルトに挟んでいたガラス瓶をつかんだ。弧を描くようにあたりに撒かれたのは透明な水……いや、ドルクが怯み、数滴かかった手が熱湯を浴びたように痛む。もろに浴びたティアが顔はおおって悲鳴を上げた。水に念を込めた“聖水”とかいう攻撃呪か。だがこの程度のヤケドなら、回復呪ですぐに癒えるはず。

「熱いじゃないっ」
 手にしたスタッフで座り込んでいた司祭を滅多打ちにしはじめたティアを見て、アレフは驚いた。手加減など考えていない、殺意のこもった殴り方。仮にもラットルは元同僚ではなかったか。

 うずくまった司祭が頭をかばう。その手にも容赦なくスタッフは叩きつけられ、嫌な音のあと力なくずり落ちた。あらわになった頭を突き砕く勢いで振り下ろされるスタッフを、あわてて後ろから掴んだ。
「ジャマしないで!」
「やりすぎだ。殺すつもりか」
「そうよ」
 振り向いたティアは、当たり前のように言った。
「だってコイツ、あたしを殺そうとしたのよ。今だって、馬車に細工して事故らせようとしてたじゃない」

「……未遂だし、何も殺さなくても」
「なんで?」
 不思議そうに聞き返されて、一瞬言葉に詰った。
「なんでって……理由はどうあれ殺人は重罪」
「ラットルはホーリーシンボルを仕掛けたんだよね。太守を害そうとした者は家族もろとも極刑じゃなかった?」
 そういえば、そんな法もあったな。
「もう何百年も適用していない」

 ナイフを隠し持ち贄として近づいた若者の首を、親兄弟ともどもクインポートの広場に晒したのは、統治を始めて一ヶ月目だったろうか。見せしめの効果より、反感という弊害の方が大きい上に、執行した側により痛みが残る無益な処置だった。
 南の鉱山に送るか、血であがなわせるか……いっそ見なかった事にする方がまだマシだ。
 這いずるように門から出て行こうとしている司祭を、今も見逃そうとしているように。

「ちょっと、離してよ。逃げちゃうじゃない」
 全力でスタッフを引っ張っているが、やはり非力だ。先端に施された破魔の紋は熱いが、掴んでいられないほどでもない。もうしばらく離さないでいればティアも諦めるだろうと、逃げていく司祭の背中に目をやった瞬間、不意にスタッフが軽くなり、同時に掴んでいた手に激痛が走った。

 不敵な笑みを浮かべたティアが、空中で掴んだスタッフをくるりと回し、門の向こうへ走り出していく。
「なん……」
「油断なさいましたね。司祭も関節を極められてスタッフを奪われたんですよ」
 馬車の車輪のソバにかがみこんだドルクが、苦笑していた。


 しばらくして不満そうな顔で帰ってきたティアが、返り血を浴びてないことに心底ほっとした。あれだけひどく殴られても、あの司祭の逃げ足の速さだけは損なわれなかったようだ。

「ひとつ、聞きたいことがあるの……聖水が痛いんだけど、なんで? あれって、もったいつけたタダの水じゃないの? 眠っているうちに……噛んだ?」
 首に巻かれた銀の防具を不安そうになでる。その左手に、血色の指輪がはまっていた。
「アレフ様が闇の子になさったのなら、陽の光に肌を焼かれますし、そんな防具はつけていられませんよ。そのスタッフを持つのも法服を着るのも、辛いと思いますよ」
 馬車の点検を終えたドルクが安心させるように笑む。

「ところで、イモータルリング……その紅い指輪はいつから?」
「これは父さんが死ぬ前に……
 げ、この形見の指輪のせい?
 やだ、外れない」
「簡単に外れても困ります。貴女のような向こう見ずな方には必要な指輪だと思いますよ。まぁ、造ったアレフ様が滅びない限り不死身になったと思って下されば……」

 ひとしきりあがいた後、指輪を外すのを諦めたティアに、なぜニラまれなくてはならない?
「いい手考えたわね。噛まなくても仮の眷族に出来る術具なんて。不死身の従者は欲しいけど心は繋ぎたくないってコト? 利用するだけ利用して、いつでも捨てられるように」
 これはまた、ずいぶんな誤解だ。

「道づれにせずに済む……昼も動ける仮の守護を作る術具です。 くちづけを与えても生身は生身。正式な闇の子に比べて弱い衛士を危険な地へ赴かせる時、身の安全を保障するための指輪。渡す目的は使い捨てとは真逆ですよ。 ティアさんが心話を……私の何もかもを拒んでいるだけで、その気があるなら心は繋がります」
 あの町長といいこの娘といい、クインポート育ちの者は独立不羈《どくりつふき》の精神にあふれすぎている。

「……あたしの心、読んでるの」
「時々」
「ヘンタイ」
「この流れでなぜ変態呼ばわりされるのか、理由がサッパリ解らない程度の読心など、気にする程のモノでも……それに、テンプルの者はヴァンパイアの精神支配に対抗する修行をしているのでは?」
 急に娘の心が読めなくなった。特定の条件下で発動する自己暗示の一種だろうが、なかなか見事な芸当だ。
「その方が助かる……狭い馬車の中でずっと敵意を向けられても気詰まりです」

 ドルクが裏手の小屋で草を食んでいた二頭の馬をひいてきてくびきに繋ぐ。陽も傾いてきた。そろそろ潮時か。今回は一人だったが、日が沈めばもっと大勢で押しかけてくるかもしれない。人の心に住む荒ぶる魔物が力を増すのも、闇の中だ。

「シルフィード、すまないが、また、船を見守っていてくれるか?」
マントを軽く吹き上げ、からかうようにティアの髪を巻き、風の精霊は港の方へ駆け下りていった。貿易商達に下らない嫌がらせをした所で、譲歩を引き出せないのなら意味は無い。何より金が湧く泉を埋めるのは愚行以外の何ものでもない。

「そのスタッフは後ろに……狭い車内に持ち込んでも邪魔でしょう」
 ドルクにうながされて、しぶしぶティアがスタッフを手放す。太守と同席する以上、ある程度の武装解除は覚悟していたのだろう。
 というか
「それは元々ラットルの物では?」
「それがどうしたの」
 強盗の罪を指摘したところで、また予想外の事例か理屈を持ち出して来そうだ。この娘には、根本的な部分で当たり前の常識や倫理が通じない。それが、当人の資質によるものか、テンプルの教育によるものなのかは解らないが。
「いや、なんでもない」
 見た目は可憐な無頼の者との道行きは、緊張に満ちたものになりそうだった。
第二章に戻る | 第四章 その1へ | もくじへ

-Powered by 小説HTMLの小人さん-